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今の社長の好きな言葉、自戒の言葉。ごく稀にup。

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今の社長の好きな言葉。自戒の言葉。本当は社員さんや、うちの子供に読んで欲しいんですが、こっぱずかしいので真正面から伝えたことはないです。まあいいです。自戒のためにちょこちょこ書き足しておきます。それ系がお好きな方はどうぞ。

 銀河英雄伝説 から。
銀河英雄伝説 田中芳樹著 徳間文庫

ことばというやつは、 心という海に浮かんだ氷山みたいなものじゃないかな。
海面から出ている部分はわずかだけど、それによって、 海面下に存在する大きなものを知覚したり感じとったりすることができる。
ことばをだいじに使いなさい。
そうすれば、ただ沈黙しているより、 多くのことをより正確に伝えられるのだからね。






人間には相応の生きかたがあって、 最終的にはそこにおちつくのではなかろうか。







短距離競争とマラソンでは、 おのずと、それぞれの種目にふさわしいリズムとスピードがあるはずだ。







ヤンが店をえらぶ基準がいくつかある。
ひとつは客それぞれのペースを乱されずに飲めること。
ふたつは店側と常連客が奇妙に慣れあって、 初めての客をないがしろにするようなことがないこと。







つまるところ、 みごとな死というものはみごとな生の帰結であって、
いずれか一方だけが孤立することはないように思える。







私はあまり上層部から好まれてはおりません。
首脳部に忌避されて、辺境を転々として生涯を終えるものも多いようです。
自分も恐らくそうなるでしょう。
良くはありませんが、首脳部の指示を覆すだけの力は、私には有りません。
ただ、卑屈にならないよう、自己を律したいと思うのみです。







べつに孤独こそ本質だとつっぱることもないが、
知己がつねに少数であることはわきまえておきたいと思う。







誠意や愛情が、それをつくされる者にとっては負担でしかない場合もあるのだな。
人生は初級の数学ではない。
方程式ですべてが解決するわけではない。
これだけの愛情をそそげばこれだけの結果が返ってくる、とわかっているなら、
人生はなんと単純で明快なものだろう。








私は、建前を最初からばかにしている人を、どうも信用できんのです。







正論を吐く人間はたしかにりっぱであろう。
だが、信じてもいない正論を吐く人間は、はたしてどうなのか。







一億人が一世紀間、努力をつづけて築きあげたものを、
たったひとりが一日でこわしてしまうことができるのですわ。







たぶん人間は自分で考えているよりも
はるかに卑劣なことができるのだと思います。
平和で順境にあれば、そんな自分自身を再発見せずにすむのでしょうけど・・・・・







あいつは小物だ。
その証拠に、実物より大きく映る鏡を見せれば喜ぶ。







偉人なら一度の忠告で反省する。
凡人なら二度くりかえし諌められれば、まずあらためる。
できの悪い奴でも三度も言われれば考えなおす。
それでも態度を変えないような奴は、見放してよろしい。








あんたより年齢がずっと若くて、
ずっと重い責任を負わされた相手を、
口ぎたなくののしるような人間が、周囲の目に美しく見えるかどうか。






先人に対する嫉妬心がない。
こいつは後継者としてはえがたい資質だ。







見栄をはるのはけっこうなことだ。
最初は大きすぎる服でも、成長すれば身体にあうようになる。
勇気も同じことだ。






最善をつくしても、だめなものはだめ。
手の届かない場所のことをいくら心配しても、 それで自分の手が伸びるわけじゃない。
やりたい奴にまかせるのが一番さ。







歴史とは、人類全体が共有する記憶のことだと、思うんだよ。
思い出すのもいやなことがあるのだろうけど、 無視したり忘れたりしてはいけないのじゃないかな。







人間の社会には思想の潮流が二つあるんだ。
生命以上の価値が存在する、という説と、生命に勝るものはない、という説とだ。
人は戦いを始めるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。
それを何百年、何千年と続けて来た・・・・・







問題は彼女が不幸なことじゃない。 自分は不幸だと彼女が思いこんでいることさ。







個人が勝算のない戦いを挑むのは趣味の問題だが、
部下をひきいる指揮官がそれをやるのは最低の悪徳である。







たいした勇者だ。
声は遠くまで届くのに、 目は近くのものしか見えない。
忌避すべき輩ですな。







前進と勝利、後退と敗北の区別がつかん奴だ。








人間には現在はむろんたいせつですが、
どうせなら過去の結果としての現在より、
未来の原因としての現在を、 よりたいせつになさるべきでしょうな。










今までうまく運んでいたものを、 理屈に合わないからといって、 むりにあらためることはない。
ことに人間どうしの関係をな。










専門家が素人に遅れをとる場合が、往々にしてある。
長所より短所を、好機より危機を見てしまうからだ。










わたしは、たしかにあなたを失いました。

でも、最初からあなたがいなかったことにくらべたら、わたしはずっと幸福です。








あなたにとって、たいせつなのものがなんであるかを、いつも忘れないようにしてください。
ときには、それがわずらわしく思えることもあるでしょうけど、
失ってから後悔するより、失われないうちにその貴重さを理解してほしいの。




 ローマの歴史 より
ローマの歴史 I.モンタネッリ著 藤沢道郎訳 中公文庫

ローマの歴史が偉大なのは、
それが私達とは違った人々によって作られたからではなく、
私達と同じような人々によって作られたからだ。
彼らのどこにも超自然的なところはなかった。
もし超自然的なところがあったとすれば、 私たちはかれらを尊敬などしなくてもよいはずである。






ローマがローマであるのは、
その歴史上のヒーローたちが過誤や愚行をおかさなかったからではなく、
彼らの過誤や愚行が、 時にはかなりひどいものだったとしても、
ローマの覇権をゆるがすことができなかったからである。






革新が行われるたびに、ローマの存立を危うくするような激しい抗争が起こった。
それでもとにかくこの結果に漕ぎつけたのは、 ローマの貴族階級が保守派は保守派でもなかなか聡明な保守派だったからである。
彼らは強引に自分たちの特権を擁護したし、 現代の支配階級と同様、革新勢力に対しては露骨に反感をあらわした。
けれどもかれらは正直に税を納め、十年のきびしい兵役をつとめ、 兵の先頭に立ってたたかい、死をも辞さなかった。
貴族の特権か祖国の利益かの選択を迫られればためらいなく後者をとった。
だから、平民との完全な同権を強いられた後も、権力はかれらにとどまった。







四半世紀の死闘の末、カルタゴの受けた傷は深かった。
領土の割譲、重い賠償、商業特権の放棄に加えて、内乱が国を危うくした。
内乱鎮圧は三年以上かかり、 そのどさくさにローマ軍はサルディーニャ島まで占領してしまっていた。
カルタゴはもちろん抗議したが、ローマは敵の内紛につけこみ、 返事の代わりに宣戦した。
カルタゴは戦争を避ける為、 サルディーニャ島を放棄し、 おまけにコルシカ島を献上し、さらに1200タレントゥムの賠償を追加した。
何のことはない、開戦を避けるために敗戦を受諾したようなものだ。








大敗報はローマを震撼させた。
だが元老院は沈着に事態に対処した。
報告に接した国務官マルクス・ポンポニウスは、 広場の演壇から市民に率直に真相を告げ、奮起をうながす。
「われわれは大敗を喫した。戦局は重大な危機にある」
空疎な強がりは一言も発しなかった。



 ネットで拾った言葉

勝者のスコアボード

勝者は得るものが大きな時に大きな賭けをし、敗者は得るものが少なく失うものが大きな時に大きな賭けをする。

勝者は注意を集中し、敗者は注意散漫である。

勝者は「見つけよう」と言い、敗者は「誰も知らない」と言って諦める。

勝者はミスした時「自分が悪い」と言い、敗者は「自分のせいではない」と言う。

勝者は、敗北を恐れない。

勝者は、努力して時間をつくる。敗者はいつも忙しいと言って、必要なことにも手が回らない。

勝者は、大きな問題も細かく分解して解決してしまう。敗者は小さな問題をたくさんかかえて、解決できなくする。

勝者は問題に正面から取り組み、敗者は回り道をした挙句、解決できない。

勝者は敗北から学び、敗者は新しいことを試みないで、失敗しないことだけを学ぶ。

勝者は実行し、敗者は約束だけする。

勝者は良いプレーによって前の失敗を償うが、敗者は「すまない」と言うだけで同じ失敗を繰り返す。

勝者は、戦う対象と妥協する対象を知っているが、敗者は安易な妥協をし、価値のないことで戦う。

勝者は、すでに高いレベルに達していても「もっとよくなりたい」と言い、敗者は「自分は他の人ほど悪くない」と言う。

勝者は人を傷つけようとしないが、敗者は知らないうちにそうしている。

勝者は聞く耳を持ち、敗者はしゃべる番を待つ。

勝者は好かれることより尊敬されることを望むが、敗者は尊敬されることより好かれる方を望み、軽蔑されても仕方ないと思う。

勝者は周りの空気に敏感であり、敗者は自分の感情にだけ敏感である。

勝者は強いがゆえに寛大になれるが、敗者には臆病と横暴が交互に現れる。

勝者は自分より優れた人を尊敬し、彼らから何かを学ぼうとするが、敗者は彼らに腹を立て、あら捜しをしようとする。

勝者は説明し、敗者は言い訳をする。

勝者は、自分の仕事以上の責任を負うが、敗者は「これだけしかできない」と言う。


勝者は「もっとよい方法があるはずだ」と言い、敗者は「今までやってきた以外の方法はない」と言う。

勝者は自分のペースを知っているが、敗者はヒステリックに動き回るか、ダラダラ動くかの二つのペースしかもっていない。









時間銀行


次のような銀行があると考えてみましょう。
その銀行は、 毎朝あなたの口座へ86,400ドルを振り込んでくれます。
同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。
つまり、 86,400ドルの中で、あなたがその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまいます。


あなただったらどうしますか?・・・
もちろん、毎日86,400ドル全額を引き出しますよね。
私たちは一人一人が同じような銀行を持っています・・・


それは時間です。


毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。


毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。


それは、翌日に繰り越されません。
それは貸し越しできません。


毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。
そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまいます。


もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。
過去にさかのぼることはできません。


あなたは今日与えられた預金のなかから今を生きないといけません。


だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。
そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。
時計の針は走り続けてます。
今日という日に最大限の物を作り出しましょう。


1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。
1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう。
1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。
1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。
1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。
1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。
10分の1秒の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。


だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。


そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだったら、十分に大切にしましょう。
その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。
そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。


昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。


明日は、まだわからないのです。


今日は与えられるものです。


だから、英語では今をプレゼント(=present)と言います。









誰かが誰かの結婚式の祝辞で言ったらしい言葉

嫁の上に立とうとするな。しかし、媚びるな。







大きな石   ある大学教授の講義

ある大学でこんな授業があった。

「クイズの時間だ」教授はそう言って大きな壺をとり出し、教壇に置いた。
その壺に、彼はひとつひとつ石を詰めた。
壺がいっぱいになるまで石を詰めて 彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
 

「本当に?」といいながら、教授は教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。
そして、砂利を壺の中に流し込み、壺を揺らしながら、石と石の間を砂利で埋めてゆく。
そうしてもう一度聞いた「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
ひとりの学生が「多分違うだろう」と答えた。
 

教授は「そうだ!」と笑い、今度は教壇の下から砂の入ったバケツをとり出し、
それを石と砂利の隙間に流し込んだ後 3度目の質問を投げ掛けた。

「この壺はこれでいっぱいになったのか?」
学生は声をそろえて「いいえ」と答えた。
 


教授は水差しをとり出し、壺のふちまでなみなみと水を注いだ。
「僕が何を言いたいか、わかるだろう?」



ひとりの学生が手を上げた。
「どんなにスケジュールが忙しい時でも、最大限の努力をすれば、
 いつも予定を詰め込むことが可能ということです」
 

「それは違う」と教授 。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。
 この例が私たちに示してくれている真実は、
 大きな石を先に入れない限り、
 それが入る余地は、そのあと二度とないということだ」
 
「私たちの人生にとって、大きな石とはなんだろうか?」

「それは仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、
 家族であったり、自分の夢であったり。
 ここで言う大きな石とは君たちにとって一番大切なものだ。
 それを最初に壺の中に入れなさい。
 さもないと君たちは、それを永遠に失うことになる。
 もし君たちが小さな砂利や砂、
 つまり自分にとって重要度の低いものから自分の壺を満たしたならば、
 君たちの人生は重要でない何かで満たされたものになるだろう。
 そして大きな石、つまり自分にとって一番大切なものにさく時間を失い、
 その結果、それ自体を失うだろう」



 いままでお世話になった方々の言葉

バラはバラなりに、百合は百合なりに、咲きよるよ。
塾の先生 山田素直先生


馬鹿は社長になれん。
弊社部長(故人)

 西遊記 から。
西遊記 邱永漢著 中公文庫

ぺこぺこと頭をさげて、おひげの塵を払っているのも出世の方法には違いないが、謀反を起すのも確かに一つの道ではある。
ただし、これは相手が宏遠無涯の大度量を持っている場合のみに有効であって、ドングリ同士の喧嘩にはもちろん通用しない。






善人は自分の善を守ることに汲々とするばかりで、悪を防ぐ手段を知らないから、誘惑されて悪の道に入らないまでも、悪党に滅ぼされてしまう可能性があります。
その点、悪党の中の悪党なら、悪党に対抗するあらゆる手段を知っていますから、彼らを味方につければそれだけ心強い。
ただ何分にも根が悪党ですから、いつどこで謀反を起すか油断がならない。そんな時に備えるのです。






名僧といわれる人たちはそれぞれに悟りきったような顔をしているが、そのどれもを玄奘は信じていない。
何故ならばこれらの人々の中にはたとえば、「人は何のために生きるか」といったもっとも単純な質問にさえ、満足な回答をあたえ得る人間がいなかったからである。







債鬼逃げるべからず、といって、大抵の人間は借金をしたり無銭飲食をすれば逃げ出すが、私なら密着戦術をとってわざとでも相手にくっついているね。
くっついておれば、相手も人間だから図々しい奴だと心に思ってもあきらめてくれるが、反対に逃げたりするとどこまでも追っかけてくるよ。







人に迷惑をかける時は多くの人にかけるよりも、一人だけにかけたほうがいいってことをお前は知らないと見えるな。
迷惑をかけられる人は口では迷惑だ迷惑だとボヤいても、自分ひとりだけが頼りにされていると知れば、案外いやな気持ちがしないもんだよ。







学問をやっている人間が学問の限界を知っているとは、なかなか見所がある。








観音菩薩「人間は誰でも完全なる自由を求めたがる。しかし完全な自由はどこにもあるものではない。
たとえば、サラリーマンはお金さえあれば、こんな職業にしがみついていなくてもよいと溜息をつく。
ではお金があったら彼は自由であるだろうか。そりゃ職業からは自由になるだろう。
しかし、お金があったらあったで、今度はお金から自由でなくなる。
それと同じように、お前は自分の頭の輪から自由になろうともがいているが、もがいているあいだが、実は自由の境地なんだよ」

孫悟空「そんな理屈は哲学者の世界でなら通用するかも知れませんが、私のような行動主義者には理解できません」







およそ世の中には三種類の猿がいると信ぜられている。見ザル、聞かザル、言わザルの三種類だ。
ところがもう一種、似ザル、という猿が見落とされてる。
およそ独立自尊の猿は他の猿には似ないことを誇りにするものだが、似猿は必ず敵と同じ合言葉を使って人間の頭を混乱させる戦術を心得ている。
たとえば、相手が民主主義といえば民主主義といい、民族自決といえば民族自決といい、植民地解放といえば植民地解放と叫ぶ。
言葉が混乱するだけではなく、内容も混乱し、遂にそれを区別しようと試みる人々の頭の中まで混乱してしまう。
それが似て非なる似ザルの特徴ですよ。







世間で人格者と言われている人たちは、世間知らずであるが故にお人好しな連中が多いのです。
しかし、それは言葉の正しい意味における人格者とは言えません。
本当の人格者は、世の中の裏も表も知った上で、なお悪に強い人たちのことだと思います。



 司馬遼太郎 各著作から







そのうち気が向いたらUPいたします。





 ウインストン・チャーチルの言葉







そのうち気が向いたらUPいたします。




 名将言行録 歴史上の人物など







そのうち気が向いたらUPいたします。






 その他 (かならずしも自戒の言葉ではないですが、なるほどなあと思った言葉など)

読むだけですっきりわかる世界史・現代編 より
オスマン帝国の終焉からポツダム宣言まで 後藤武士 宝島社
2章 帝国主義の時代 ●ロシア社会民主労働党 より



創立大会でいきなりロシア社会民主労働党は分裂する。

れが「左」の悲しさ。

王様とか貴族とかお金持ちとか既得権者っていうのは、普段は見苦しい喧嘩してても、いざ共通の敵を外に見つけると見事なまでに結束するんだよね。
それに対して、労働者とか貧者とか抑圧されていた民族や人種とかは、概ねここが勝負という勝負どころを前にこれまたあっけなく分裂する。

これはオカルトとかではなくて、こんなこと考察する人もいないけど、ある程度理由は検討つくんだよね。

まず、上は政治に慣れていて、政局のための権謀術数にも長けており、多数派工作などもお手の物だということ。これに対して下といういうものは往々にしてそういうことに不慣れなもので切り崩しなどに耐えられなかったりする。


次に下は生活に余裕がない人が多いから、当面の生活の安泰を約束されたり、目の前にニンジンをぶら下げられるとふらふらしてしまう。もちろん、理念のためにはこれまで以上の生活苦や、時として「死も厭わず」などという人もいるけれど、逆にそのギャップが分裂を生む。


そういえば成功した運動ってたいていやってる人たち、楽しそうだもんね。不謹慎に見えるくらい。でもそれくらいの余裕があるから成功するのかもしれない。上でも下でもない人たちは、あまりに必死な形相をみせると周りが危険を感じてしまい結果的に多数派になれないということもあるから。


今も触れたけど、実はこの真ん中の人々を取り込めるかというのも重要で、政治でも特定の政党の強い支持層というのは、スキャンダルがあろうが、公約違反があろうがついていく人たちであって、無党派層と呼ばれる人たちがどう動くかで勝敗が決まってしまうもの。


でもって基本的に真ん中の人たちも目は上を向いているわけで、どうしても上が有利になりがち。で、そうなると下はさらに苦境に陥るから分裂も激しくなる。


そしてさらに、案外これが真相に近いと思われることを言ってしまうと、下のグループの中にはリーダーになりたい人が大勢いる。


そもそも運動を始めるということは今までの待遇に不安があるからであって、それがまとまった運動になったということは、周りの人を焚きつけて動かしたリーダーが存在するということ。


運動が大きくなる時というのはそういうリーダーと小集団がいっぱいあってくっついたということなんだけど、それぞれのリーダーは自分こそが一番と思っている人が多いから、運動成就のためであったとしても、人の下につくことは潔しとしない。


ちょっと頭を働かせるだけでもこれぐらいは浮かぶ。それだけ下が上に勝つのは難しいということ。




※高校の時から歴史ものを読んでいる中で、なんとなくもやもやっと「人の集団の離合集散の法則性」みたいなものを感じていたことが、100%あますところなく、すばりそのもの書いてあったので超感心しました。 古代・中世・近世・近現代、西洋・東洋問わず、おんなじようなことが繰り返されるのが歴史ですね。完全な繰り返しではないですが、エッセンスというべきものはあるみたいですね。


※この後藤武士さんという方の一連の「読むだけですっきりわかる」シリーズは「ひとに物事を伝える技術」という点でも非常に参考になりますね。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」という井上ひさしさんの言葉が想起されますね。中高生あたりにぜひ読んでもらいたいですね・・・。

 中国の古典(諸子百家、史記など)

韓非子 より 徳間書店 中国の思想 第1巻 
松枝茂夫・竹内好監修 西野広祥・市川宏訳


※韓非という人がその著作(韓非子)の中で、「亡国の兆候」として列挙した「亡徴」という編です。
二千数百年も昔の文章なので現代にそのまま当てはめるのも乱暴なところもありますが、それでも、たま~に読むと粛然とするところがありますね。現代語訳です。
あえて全四十七項写しました。


自分が今いる状況によって、読み取るところや受け取り方が違ってきますね。




亡徴───亡国のきざし四十七項───

亡国のきざしは、どんなところにあらわれるか。


一、 大臣の家の規模が君主の家より大きくなり、臣下の権威が君主の権威をしのぐ。


二、君主が法による政治を軽視して策略にたより、その結果、内政の混乱を招いて、外国の援助にすがろうとする。


三、臣下が学問に精を出し、エリート青年が空理空論をもてあそぶ。また商人は脱税のため財産を国外に持ち出し、一般庶民が私的武力にたよる。


四、君主が宮殿や庭園の建築にうつつを抜かし、車や衣服、珍品集めなどの道楽に凝って、人民から絞りあげては浪費する。


五、吉だ凶だと日柄を気にし、鬼神をありがたがり、占いの結果を真に受けて、何かといえば祭祀をやりたがる。


六、臣下の進言が気に入ればすぐに爵位をあたえ、仕事の成果と突き合わせることをしない。取次役を特定の臣下にやらせ、外部との接触をまかせてしまう。


七、重臣にとり入れば官職につくことができ、賄賂をつかえば爵禄が手に入る。


八、君主がぼんくらで無能、何事につけ優柔不断で、人まかせにして自分の考えというものがない。


九、底抜けの欲張りで、利益とみれば見さかいなくとびつく。


十、法にもとづかず、無原則に刑罰を加える。空理空論に耳を傾け、現実に役立つかどうかを考えない。外見を飾りたてて、実用を無視する。


十一、君主の人物が薄っぺらで簡単に本心を見すかされ、またオシャベリで秘密を守れず、臣下の進言内容を外にもらす。


十二、独善的で協調性がなく、諫言されればむきになる。国家全体のことを考えずに軽率に動き、しかも自信満々である。


十三、遠くの友好国をあてにして、近隣諸国との外交をおろそかにする。強大国の援助にたよって、隣国からの脅威を軽視する。


十四、他国者が、家族も連れず財産もたずさえずに、単身で売り込んできたあげく、国家の秘密計画から人民対策に至るまで、国政全体に関与する。


十五、民心が君主を離れ宰相に集まっているのに、君主は宰相を信頼していて、辞めさせようとはしない。


十六、国内の人材を無視して他国の人間を登用し、そのさい、実際の功績を吟味せず、名声の有無によって採否を決める。この結果、はえぬきの臣下をさしおいて、他国者が高位につく。


十七、嫡出の公子をしかるべく待遇せず、そのため、他の公子たちが同等の勢力を持っている。こんな状態で、正式に太子をきめないまま、君主が死んでしまう。


十八、君主がずぼらで、およそ反省ということをせず、どんなに国が乱れていても自信満々で、自国の経済力を考えずに、隣の敵国を組みしやすしとする。


十九、国が弱小であるのに、尊大にふるまい、強国を警戒しない。国境を接している大国をバカにして、礼をもって対しようとはしない。自国の利益しか眼中になく、およそ外交というものがわからない。


二十、すでに太子を立てておきながら、君主が強国から新しい后を迎え、これを正夫人にした場合。こうなると太子の地位が危うくなり、太子派と夫人派のどちらにつくべきか、臣下の間に動揺が起きる。


二十一、君主が臆病で信念が貫けない。すなわち、予測するだけで決断ができず、やらなければと思うだけで手が下せない。


二十二、君主が亡命し、その間に反君主勢力が新君を擁立する。あるいは、太子が他国に人質となっている間に、君主が太子を代えてしまう。───こうして国内に二勢力の対立が生じる。


二十三、大臣に侮辱をあたえて、プライドを傷つける。あるいは、庶民に厳しい刑罰を加えて、過酷な使役に駆り立てる。このように、相手に屈辱をあたえ怒りを抱かせ、これを当然のこととしてくり返せば、謀反を企むものが、必ずあらわれる。


二十四、有力な大臣が二人、勢力を競いあって譲らない。双方とも有力な親類縁者の数が多くたがいに徒党を組み外国の援助を受けて、自勢力を伸ばそうとする。


二十五、女どものたのみを唯々諾々としてききいれ、おべんちゃら使いの進言ばかりを採用し、それに対し世論の非難が高まっても、あくまで横車を押しとおす。


二十六、大臣を侮辱し、身内の目上を冒涜する。人民を酷使し、無実の者を死刑にする。


二十七、都合が悪ければ理屈をつけて法をまげ、何かにつけ公事に私情をさしはさむ。その結果は朝令暮改、次から次へと新しい法令が発せられる。


二十八、もともと地の利に恵まれないうえ、城郭も欠陥だらけ、物資の蓄えはなく、生産力も低い。すなわち、長期戦に耐える力がないのに、軽挙妄動して戦いをしかける。


二十九、君主の家系が代々短命で、即位してもすぐに死んでしまい、ついには年端もゆかない幼君が立たざるをえず、かくて実権は重臣の握るところとなる。こうなると、かれらは自分たちが使いやすいように、他国者を登用して派閥をつくる。その結果、特定国との関係が深まって、ついには領土を割いて援助を乞うに至る。


三十、後継者たる太子の名声が高まり、強力な派閥ができて、大国と結びつく。このように、早いうちから太子の勢力が強大になる。


三十一、視野がせまくてせっかち、些細なことで簡単に行動を起こし、すぐにカッとなって前後の見境いがつかなくなる。


三十二、怒りっぽいうえに戦争好きで、本務たる農政に力をいれず、何かといえば武力を発動する。


三十三、大臣高官が羽振りをきかせ、たがいに反目しあって、ついには他国の力をかり、領民を動員して、私的な戦争を始める。ところが、君主はこれに誅罰を加えず、手をこまねいている。


三十四、君主より君主の兄弟のほうが、人物が上である。太子に権威がなく、他の公子が対抗して勢力を張る。役人よりも人民が強い。───いずれの場合も、国の秩序は混乱におちいる。


三十五、君主が腹を立てた気配を示しながら、その後、何の処置もとらない。臣下の罪がはっきりしているのに、誅罰を加えようとしない。このため、臣下のほうは、いったいどうなるかわからず、ひそかに君主をうらむようになる。───このように、君主が臣下を宙ぶらりんの状態に置く。


三十六、軍の指揮官や辺境の守備隊長に、大きな権限をあたえ、かれらが君主に相談なしに、勝手に命令を出す。


三十七、夫人と太后、ともどもに淫乱で乱行を重ね、これがもとで大奥が政治に関与するようになり、ついには夫人派と太后派の並立───いわゆる“両主”の状態が出現する。


三十八、正夫人より側室の権威が重い。太子よりも庶子のほうが重んじられる。大臣がないがしろにされ取次役が実権を握る。かくて大奥にも宮廷にも対立が生じる。


三十九、大臣があまりにも尊ばれ、強力な派閥を形成して、決済を君主に仰がず、思いのままに国政を動かす。


四十、大臣をはじめ有力なバックのある臣下ばかりが登用され、功臣の子弟が冷飯を食わせられる。市井の小さな善行だけが表彰され、官職についている者の労苦は評価されない。総じて“私”が貴ばれ、“公”がないがしろにされる。


四十一、国家の財政が底をついているのに、大臣の家には金がうなっている。戸籍のある正規の人民、農民・兵士が恵まれず、利益を追って流れ歩く商人や末梢的な仕事にたずさわるものが、利益を得ている。


四十二、戦争を始めながら、大利を目前にして傍観するばかり。また禍いを予測していながら対策を立てようともしない───このように、君主が攻守両面ともに、軍事というものがろくすっぽわかっていないくせに、“仁義”によって自己の行為を飾りたてようとする。


四十三、君主が君主としての孝をかえりみず、一般人なみの孝にひきずられる。───すなわち国家の利益を優先させず、母親たる太后の言いなりになり、その結果、女が国政を動かし、宦官が重用される。


四十四、雄弁だが“法”という筋が通っていない。聡明ではあるが、肝心の“術”を心得ていない。能力そのものはあるのだが、“法”によって事を運ぼうとしない。


四十五、古参が格下げされ、新顔が昇進する。優秀な人材が押しのけられ、無能者が実権を握る。実際に苦労している人間の地位が低く、功績のない人間が高位につく。───こうして下積みにされた者の怨みが、つみかさなる。


四十六、君主の兄弟親族、あるいは大臣が、功績を上まわる俸禄・爵位を受け、生活ぶりが分を過ぎて派手であるのに、君主はそれを放置しておく。この結果、臣下の欲望に際限がなくなる。


四十七、君主の婿や孫が民間に住む場合、かれらが威光をかさに、隣近所の住民にたいし、わがもの顔にふるまう。



※諸子百家の抄訳ものでは、私は徳間書店の「中国の思想」シリーズが好きです。まだ売ってあるかな?絶版かな? このシリーズは記述が平易でなおかつ解説に事の本質・核心を突いている文章が多くて秀逸だと思います。入手できる機会があればおすすめします。





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偉い人とのお付き合いに悩む人、仕えにくい上司使いにくい部下をもつ中間管理職、奥さんor彼女さんもちの方、総じて対人関係に悩む全ての人に贈る、2千数百年前からのアドバイス。韓非子「説難」。





韓非子 徳間書店 中国の思想 第1巻 松枝茂夫・竹内好監修 西野広祥・市川宏訳



韓非子から、現代語訳です。高校1年のときにものすごく感銘を受けた「説難」という編です。久々に読み直してあらためて韓非という人の凄さに感じ入ります。韓非子、マジおすすめ。









説難───進言のむずかしさ───





進言のむずかしさ


進言というものはむずかしい。どういう点が難しいか。それは、進言する者が十分な知識を身につけておくことのむずかしさではない。また、自分の意見を口で言い表すことのむずかしさでもない。そしてまた、言いたいことをはばからず、ずばずば言ってのける勇気を持つむずかしさでもない。



進言のむずかしさとは、相手の心を読み取った上で、こちらの意見をそれに当てはめること、この一点につきるのである。





たとえば、相手が名声を欲しがっている君主だとする。この相手にむかって、こうすれば大きな利益があがるなどと説いたら、下司にいやしめられたとして、相手にされないにきまっている。

反対に、利益一点張りの君主を相手に名声を上げる心得を説いたら、コチコチの世間知らずとして敬遠されるにちがいない。



うらでは利益を求めながら、表向きは名君顔でいる。こんな君主が相手ならどうだろう。この相手にむかって名君の心得を説いた場合、表むき、形だけは登用を受けるかもしれないが、実際には排斥される。そうかといって利益の上げ方を説いた場合には、意見だけは盗まれ、あとは知らぬ顔ということになる。

進言しようとするからには、これくらいのことは、心得なくてはいけない。







進言者のおちいる危険


計画は秘密に運ぶから成功するのであり、外にもれれば失敗する。たとえそれをもらすつもりはなくても、偶然に、君主がひそかに計画していることに触れてしまえば、進言者の身は危い。

相手が表向きは何かある事をやっていると見せかけ、じつは裏でまったく別の事をやっているとする。相手の表向きの仕事を知っているだけなら無事である。そのように見せかけているのはなぜかということまで見ぬいてしまえば、進言者の身は危い。



こちらの意見が相手に気に入られて採用されても、それを外部にいる者がかぎつけて、その内容を推測し外にもらしたとすれば、秘密漏洩の疑いは、必ず意見を述べた者にかかってくる。そんなとき、進言者の身は危い。



仕えて日が浅くまだ自分が信用されていないのに、あらん限りの知識を見せてしまえば、たとえ自分の述べた計画が成功して功績をあげても、恩賞はおろそかにされる。もし計画が失敗したら、あらぬ疑いをかけられ、進言者の身は危い。



君主に落ち度があったとき、礼だの義だのといって、正面からこれを批判すれば、進言者の身は危い。



君主が誰かの意見を採用して計画を立て、その功績をひとりじめしたくなったとする。そのいきさつまで知っていれば、進言者の身は危い。



能力にあまることを強制したり、ひくにひけないことをやめさせようとすれば、進言者の身は危い。



君主というものは、こちらが人格者を話題にのせると、自分をあてこすってと思うし、つまらぬ人間の話をすると、おだてに乗るものかと用心する。



寵愛する者をほめれば、自分にとりいろうとする手ではないかとうたがうし、気に入らない者を悪く言えば、自分の気持ちをためしているのではないかと気をまわす。



大ざっぱに話せば、何も知らぬ人間だと思って相手にしないし、微に入り細をうがって論ずれば、知ったかぶりをする人間だといってうるさがる。



ひかえめに大意だけを話せば、話のできぬひっこみ思案な男だと馬鹿にし、計画をたてて大いに意見を述べれば、遠慮知らずの無作法者だと軽蔑する。



これが、進言のむずかしさというものである。おろそかにすべきではない。





相手に応じた進言




では、君主に進言する者が心がけるべきことは、何であろうか。相手が自慢にしていることは、ほめたたえる。恥としていることは、忘れさせる。このへんのコツを知ることが大切である。

 

利己的ではないかと行動をためらっている相手には、大義名分をつけ加えて、自信を持たせてやることだ。

 

つまらないことだとわかっているのにやめられないでいる相手には、わるいことではないのだからやめなくていいと言って、安心させることだ。

 

高い理想を重荷にしている相手には、その理想の間違いを指摘して、実行しないほうがいいと言うことだ。



才覚が自慢の相手には、相手の計画そのものに直接ふれず、別のことを例にあげて参考資料を提供し、こちらは知らん顔をしてそれとなく知恵をつけてやることだ。



他国との共存策を進言するには、まず、それが国の名誉を高めることを述べたうえで、君主個人にとっても得策であるむねをほのめかすのがよい。





危険な事業をやめさせようさとす場合には、いちおう名前にかかわると言って止めたうえで、君主個人の利益にならないことをほのめかすのがよい。



相手の行為をほめるときは、別の人の同じ行為を例とし、いさめるときには、共通点のある別の例を引くこと。



不道徳な行為のために悩んでいる君主には、同様な例をあげ、たいしたことではないと言って、気を楽にさせることだ。失敗して気を落としている君主には、別の例で失敗ではないことを証明してやり、気をとりなおさせることだ。



自分の能力に自信を持っている相手には、その能力にケチをつけて相手をけなしてはいけない。


決断力に富むと思っている相手には、その判断の誤りを指摘して相手を怒らせてはいけない。


計画のたくみさを誇っている相手には、その計画が失敗しそうだと言って相手を苦境に追い込んではいけない。



このようにして、相手の立場を汲んで考えを述べ、相手を刺激しないように物を言い、そうしておいて知識と弁舌をぞんぶんにふるうのだ。そうなれば、相手は疑わずにこちらを近づけるようになり、したがってこちらは、自分の考えを十分に述べつくすことができる。





昔、伊尹(のち、殷の湯王の宰相)が料理人に身をやつしたのも、百里奚(のち、秦の穆公の宰相)がドレイに身をおとしたのも、君主に近づかんがためであった。この二人は聖人であったにもかかわらず、君主に近づくために、いやしい身分となって働いたのである。だから、進言する者が、君主に近づくために自分の言葉の程度をおとすのも、これと同じことだ。

そうすることによって自分の意見が君主の耳にまで達して、世を救うことができるのであれば、なんら恥とするところではない。



このようにして長く仕えるうちに、やがて信頼は厚くなる。秘密にたちいって策を進言しても怪しまれず、意見に反論を加えても罰を受けることはなくなる。利害をずばりと指摘して成果をあげることができ、是非を単刀直入に判断することで、かえってこちらの名誉は高まる。

こうして、相手もこちらも利益を得るようになれば、進言は完成の域に達する。



同じことを言っても  


昔、鄭の武公が胡を征伐したときのことである。
かれはまず自分の娘を胡の王にやって機嫌をとっておき、それから臣下にたずねた。


「わたしは戦争をしたい。どの国を相手にしたらいいだろう」


「胡がよろしいと思います」
大夫(たいふ)(かん)(き)(し)が答えた。


「胡は親類の国ではないか。それを攻めろとは何事だ」


武公はかんかんに怒って、関其思を殺した。


胡の王はそれを伝えきくと、すっかり安心して鄭への備えを解いてしまった。その虚をついて鄭は胡を攻め取った。


───またこういう話もある。


宋の国のある金持ちの家で、雨のため土塀がくずれた。


「このままにしておくと、泥棒がはいるよ」
息子が言った。
これと同じことを、隣家の主人も忠告した。


言われたとおり、夜になると泥棒がはいり、ごっそり盗まれてしまった。
泥棒を予言するとは、なんと頭のいい息子だろう、金持ちは自分の息子に感心した。


一方、隣の主人は塀がこわれていたのを知っていたから、犯人でないかとうたがわれた。


関其思といい、この隣家の主人といい、言った言葉は当たっていた。それなのに、結果は殺されたり、疑われたりであった。要するに、物事を知ることはむずかしくはないのだ。むずかしいのは、知ってからあとどうしたらよいかということである。


晋の計略を見ぬいた秦の(じょう)(ちょう)が、晋では聖人と言われながら、自国の秦で殺されたというのも、同じ例である。


進言にあたっては、こういうことも忘れてはならない。




逆鱗に触れるな


(び)(し)(か)という美少年が、衛の霊公の寵愛を受けていた。


衛の法律では、許しなく君主の車に乗った者は足切りの刑に処せられる。ところが、弥子瑕は真夜中に母が急病だという知らせを受け、君命といつわって君主の車を使った。


それを聞いた霊公は、罪を問うどころかほめたたえるのだった。


「親孝行なことではないか。母を思うあまり、自分が足を切られるのさえ忘れるとは」


また、ある日のこと、霊公のお供して果樹園に散歩に行ったことがあった。桃を食べたところ、あまりにおいしいので、弥子瑕は半分のこして霊公にすすめた。すると霊公は言った。


「君主思いではないか。自分が食べるのを忘れてまで、わしに食べさせてくれるとは」


だが、やがて、弥子瑕の容色はおとろえ、霊公の寵愛はうすれてきた。すると霊公は、弥子瑕が前にしたことに腹を立てた。


「こいつは、うそをついてわしの車を使ったことがある。またいつぞやは、わしに食いかけの桃を食わせおった」


弥子瑕の行為はひとつである。それが、前にはほめられ、後になって罪に問われたのは、霊公の愛情が増悪にかわったからだ。


つまり、相手が愛情を持っている場合には、いいことを言えばすぐ気に入られ、ますます近づけられる。ところが、最初から憎まれていたのでは、いいことを言っても受けつけられず、いよいよ遠ざけられるだけである。意見を述べたり、いさめたりするには、相手に自分がどう思われているかを知ったうえで、それを行うべきである。


竜という動物は、馴らせば、人が乗れるほどおとなしい。ところが、喉の下あたりに直径一尺もある(うろこ)が逆にはえていて、これにさわろうものなら、たちまちかみ殺される。




君主にも、この、“逆鱗”がある。それにさわらぬように進言ができれば、まず及第というところである。








※逆に、上司と言われる立場に立った時、部下にこういう心労をかけないように、自らの精神が衰弱しないように自制することが必要だと思います。という意味では、上司となる立場の人にとっては、自戒の言葉です。 韓非子、マジおすすめ。 韓非子、超おすすめ。


※君主=部下でもほぼ同じことがいえるかと。君主=奥さん、彼女さんでも応用がきくのではないかとw


※芯の強い自分を保ちつつ、感情に走らずに、相手にあわせた付き合い方で自分の思うところを伝えるというのは、なかなかむずかしいですね。


徳間書店 中国の思想 第1巻 松枝茂夫・竹内好監修 西野広祥・市川宏訳


韓非子を全部読むと、途中でダレてくるので、抜粋・抄訳・解説の構成のこの本、マジおすすめ。

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