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車の仕事には全然関係ないですが、田舎の進学校にいる、やる気はあるけど成績がぱっとしない受験生へ。

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田舎の進学校在籍(小城高校など)の生徒さんたちへ

 ~はじめに~

今春(2018年3月)うちの三人の子供のうち、二人まで大学受験が終わりました。

二人ともそれぞれのレベルで第一志望に進むことができて親としてほっとしているところです。


同時に親子としてではなく、自分がかつておなじく通った、受験という人生上のひとつの大きなイベントを頑張った同志として、こころからの共感と祝福を彼らに贈りたいと思います。

長女、長男と2年連続の受験でした。
ここ数年間、30数年前に自分の経験から学んだ事柄を生かすかたちで子供たちへのサポートをおこなってきて、それぞれの成果と失敗を追体験してきました。

最終的に長女は福岡県にある国立の工業系専科大学、長男はこの国で最初にできた旧帝国大学に進学できました。

二人とも親の私と違って田舎とはいえ県下で最も進学実績のある高校にいっていましたが、受験経験の先輩として、そしてまた勝手にひそかに共感をもつ同志として彼らに接する中で、在籍する高校の学力レベルはちがっても、また、時代は変わっても、大学受験の本質はまったく不変だという当たり前のことを再認識しました。


なんとか子供たちが受験を切り抜けた今になって、私の胸を去来したのは最近進学実績が停滞気味の私の母校・小城高校のことでした。あるいは小城高校と似たり寄ったりのその他の中途半端な?(失礼)田舎の進学校にいる生徒さんたちのことでした。


そこで、ということがすべてではないですが、私自身の受験記憶の再生データと子供たちの受験での追体験の記憶が残っているうちに、私の母校・小城高校に代表されるような中途半端な進学校にいる生徒諸君に、アドバイスになるかもしれないことをお伝えすることにしました。うちの二人が片付いていったんの区切りとその記念でもありますが。


といっても、受験とはまったくの畑違いの車屋さんのホームページの隅っこにあるページですのでよっぽどの奇縁がないとご覧になることがないとは思います。でもまあ、そのぐらいのことでいいかなとも思います。


とりあえず、大学進学を考えている生徒さんのひとりでもこのページを偶然に目にして何事かを感じてくれる人がいらっしゃれば幸いです。
という意味で、この一文は、縁あっていまこのページを見てくれたあなたへのメッセージです。





受験というのは人生の中で「自分の努力が成果に結びつく確率が高いという意味で、人生で最大のチャンスのひとつ」だと思います。


世の中に出れば、自分が努力したからと言って必ずしも成果に結びつくとは限りません。
また、努力をしようとしてもそれ自体が制限されることが多々あります。
努力そのものが否定される状況もあり得ます。

他人の思惑、周囲への配慮の必要性からくる制約、人間関係、さらには、その時々の自分の立ち位置が要求する社会的責任、組織、業種業界の体制体質、世の中の流れ、時代の潮流などが絡んでくるからです。

「頑張っても思い通りにならない」ということ以外にも、「自分が単純に思いのままに頑張れること自体が制限される」場面も出てくるということです。

そのことはあなたのお父上、お母上に聞いたらわかります。あるいはあなたが毎日接している学校の先生方も「自分の努力が成果に反映される歩留まりの低さ」や「頑張ろうと着想してもそれを許してくれない環境と状況のままならなさ」を痛感されていらっしゃるはずです。





大学受験は違います。ほぼほぼ100%自分次第です。

もしあなたが健康と学費と時間の心配をする必要がなく、やろうと思えば勉強に専念できる環境にあるならば、あなたは、大学受験という「自分の努力が成果に反映される歩留まりが高い、人生でもまれな幸福なイベント」、もしくは幸福な時代を最大限に生かすことができる環境にいるということです。

精一杯背伸びしてほしいと思います。

成功するとは限りませんが、精一杯無理をして、突き詰めて自分の実力以上のレベルを高望みしてほしいと思います。

身の程知らずになってほしいと思います。

私は小城高校のグレードクラス(進学クラス)選抜から落ちて一般クラス在籍になった状況から身の程知らずな挑戦をはじめて、最終的には幸いにも九州大学の法学部に入学できました。



世の中に出て30数年たった今にして思えば、「大学行くんだったら東大だよなあ」とか思います。東京大学という大学に日本という国がどれほどの人的資源と費用・労力をつぎ込んでいるかということと、その歴史と人材の層の厚さを見るにつけつくづくそう思います。

それでも東大以外でもそこそこの大学に入れれば、新しい世界が開けます。田舎の進学校では想像もできなかった新しい世界です。


あなたが大学進学を考えているなら、がんばって、いい大学を目指してください。(ご両親が経済的にきついなら国公立をめざしてください。学費が全然違います)

理解して参加できるかどうかは別として学問の奥深さ・深遠さに触れる機会もありますし、次代を担っていくであろう人材集団のなかで過ごすことは貴重な体験になります。

尊敬すべき偉い先生もいますし、刮目すべき面白い先輩や同輩もいます。そしてなにより、おそらくは人生の中で最も「自由」というものを謳歌できる宝物の4年間です。

また、ある程度の大学に入れば、「世間一般でいうところのいい大学」の「すごいところ」も「案外ふつうなところ」「そんなもんか」というところもある程度は肌で感じれますので、不要な学歴コンプレックスももたずに済むでしょう。※「すごいところ」とさらりといいましたが、旧帝大レベルぐらいには、全国的に、場合によっては世界的にすごい先生がときどきいらっしゃったりします。



小城高校ぐらいでもなんとか旧帝大レベルには行けるはずです。
少なくとも近いところまではたどり着けます。

今のあなたがたとえば佐賀県の県下一斉テストで県下1,000~500位ぐらいならその時点でちょっと東大・京大はさすがに無理かと思います。
でもあなたがいま1年生、2年生、あるいは3年生の1学期なら、たとえ今の成績が県下で500位圏外でも、九大・北大、場合によったら、東北・名古屋・大阪にチャレンジする入口レベルまでならなんとかなるかもしれません。


あとは運ですが。


でも、そこまで頑張ってみても損はないです。




とりあえず、30数年前の受験生の話からきいてください。




~私のこと~ ~小城高校入学~ ~1年生の頃~

 ~私のこと~ ~小城高校入学~ ~1年生の頃~

~小城高校入学~


私は30年ちょい前に佐賀県立小城高等学校に入学しました。
旧制中学の流れを汲む伝統校で昭和30年代前半までは東大京大レベルの進学実績がちょいちょいあった(と父が言っていた)進学校です。

昔も今も入ってくる生徒はいい意味で田舎者ぞろいで純朴で素直で、一定の学力がある子が入学してきており陰湿ないじめもほぼほぼなく、なにより桜の名所で名高い小城公園と立地的に一体化しているので、学校が置かれた環境も全国レベルにすばらしいものがあります。


が、近隣の方がご存知の通りここ数十年は進学実績という意味ではかなり停滞していて、上位5人ぐらいが旧帝大にチャレンジできるかどうか(実際に現役合格するのは数年に2~3人?)で、上位30~40位ぐらいでなんとか佐賀大学が圏内に入るかどうかぐらいでしょうか。

自分が在籍していた昔も今も、進学校なのにちゃんと勉強している生徒が少数派という状況は進学実績を見る限り変わっていないと思います。

私が入学したころの小城高校は高校入試250点満点中、160点とればまあまあ安全圏というぐらいの当落ラインでした。
当時は佐賀西が210点ぐらい、佐賀北が180点ぐらいが当落線だったと思います。



後から聞いた話では私の受験成績は小城高校入学者400人中57位ぐらいだったそうです。





~1年生の頃~


下手の横好きレベルでしたが、小中学校と剣道をしていましたので、その流れでなんとなく剣道部に入部しました。
なんとなく「文武両道」なんてことを考えていましたが、結論から言えば私には無理でした。

まず朝練がありました。それから昼休みにはなんとなく部室にたむろする不文律というか習慣がありました。
それから放課後は通常の練習・稽古。
まあ、同好会じゃなくて高校のちゃんとした部活というのはそんなかんじなんでしょうが、私にはきつくて帰った後は勉強どころではなかったです。

先輩方に可愛がってもらって、漫画太郎などという変なあだ名までもつけてもらって、焼きそばなんかおごってもらったりして楽しかったのですが、剣道の練習についていけなくて、学業、とくに数学では100点満点中35点レベルまでに下がってしまいました。


1学期の成績ですが、「90位ぐらいだったよ」と親に通知表を見せたのを覚えています。
成績表を一読した親が「90位じゃなくて129位やんね」と言ったので「そんなことはない。90位ちょっとだったはず」と見直したら本当に129位/400人中でした。
どうやら成績表のみせあいっこをした伊熊くんの成績を自分の成績と勘違いして記憶していたらしかったですね。


さすがにヤバいと思いました。
「高校出たら、イメージとして、頭がよさげな人たちの集まるところで、かっこよくて、自由ぽっくって、青春そのものっていう感じで、学問の世界もちょっと覗いてみて、議論したり、スポーツしたり、できたら彼女さんなんかもつくったりして、そういう世界に出ていきたい」と思って、そのためのステップだと思って、とりあえず進学校の小城高校に入ってきました。


当時の小城高校では30~40位ぐらいで佐賀大学圏内なのにこれでは世間一般にいうところのそこそこの大学には進学できそうにないです。

剣道は好きだったし、先輩もいい人が多かったし、若干感じ始めていた愛着との間で悩みましたが、7月か8月ぐらいに剣道部を退部しました。


高校生なりに万感の思いを込めて顧問の先生に「部活をやめさせてください」と涙をこらえつつお伝えしたら、「あっ、そう」と特段なんの引き留めも受けなかったので拍子抜けしたのを覚えています。
戦力としては枠外の最下層カーストの平部員だったからでもありましょうが、今考えれば先生のほうでも剣道の練習についていけていない私の状況を慮っていらっしゃったのかもしれません。



部活をやめた後ですが、却って成績が下がってしまいました。



放課後の部活の時間帯になると、短かったけど楽しいことがいくつかあった部活のことになんとなく思いを巡らしてぼーっとしたり、「部活をやめたからには成績が目に見えて上がらないと恥ずかしい」なんていう、しょうもないプレッシャーに焦って却って集中できなかったりしました。そして実際に悪い点数を取って、さらに焦る、気分転換と称して時間を無為に過ごす、という悪循環でした。


年に数回ある佐賀での県下一斉テストでは初回は県下500位以内に入れたものの、2学期1000位圏外、3学期800位台に終わってしまいました。

校内の定期テスト、学期末成績でも、2学期は400人中244位、3学期は143位に終わってしまいました。
部活をやめても勉強モードへの切り替えはなかなか難しいです。とくに自分の中に中途半端な感じや未練が残っている場合はヤバいと思います。


ただ、後年九州大学の剣道部に入部してみたら、インターハイで個人戦全国2位だったとか、県代表選手だったとか、それで現役で合格してきたとか、私からみたらスーパーマンみたいな先輩も複数いらっしゃいましたので、できる人はできるんですねえ。

そういえば九大剣道部の私の1学年下の後輩の代の主将君は、あの剣道強豪校の三養基のキャプテンでおまけに生徒会長までやって現役で九大に入学してきたらしかったです。レギュラーではなかったらしいですが、あのころの三養基高校の剣道部にいてちゃんと最後まで部活してそれで現役で九大なんて私には考えられません。
普通の人はなかなかそうはいかないのではと思いますが。

~グレードクラス選抜もれ・2年生~

 ~グレードクラス選抜もれ・2年生~

~グレードクラス選抜もれ・2年生~

今の小城高校もそうだと思いますが、2年生からは、理系・文系それぞれで国公立大学受験進学を想定した「グレードクラス」とその他一般のクラスに分かれます。

全校で100位内にも入っていないので、無理だとわかっていました。とくに2学期は244位なんてことでしたので、グレードクラス入りはどう考えてもありえません。

とりあえず、落ちるところまで落ちたので、これから頑張ってみることにしました。

2年生になったらすぐに1年時に使用した参考書などを出題範囲として主要3科目の実力テストがあるということでしたので、とりあえず春休み期間中にその参考書を完璧にマスターしてそのテストで満点をとろうと思いました。

手始めに英語の構文集から始めました。
1ページ目の ” It  is  形容詞(評価・価値判断) for 人 to 動詞~  ”  ” It  is  形容詞(性格・親切さなど) of 人 to 動詞~  ” の項目からだったのを覚えています。

春休み中、小城町のぼろい公民館の図書室に通って終日その英語の参考書に出てくる例文を完璧に覚えてしまう作業に没頭しました。ほかの科目でも配布された春休み期間中の課題を暗記できるまで何回も繰り返しました。他はやりませんでした。春休み明け一発目の実力テストでグレードクラスに入った人たちの大半よりもいい点数をとってやろうとの一心でした。


新学期が始まって、やはり一般クラス(とりあえず理系)に編入されました。わかってはいたことで「あ~あ」という感じでしたが、しょうがないですね。

新年度一発目の実力テストが反転攻勢ののろしとなるべく頑張るだけです。

英語は97点ぐらいでした。数学はやっぱり思ったような成果は出ませんでしたが、私にしては上出来で70点台は取れたと思います。
配布された課題の中からという限定された範囲内からの出題でしたので、国語も90点台が取れました。
この春休み明け一発目の課題テスト(通称実力テスト)は全校で6位になれました。有頂天です。



次の中間テストは、さらに念入りに出題範囲のみ徹底して学習、もしくは暗記して平均点95点ぐらいを叩き出せました。全校で1位でした。超★有頂天です。

ただ、これにはオチというか留意点があって進学クラス・グレードクラスの人たちがやっている中間テストの内容と一般クラスの人たちがやっている中間テストの中身が違うんですwww
むろん、一般クラスの人たちがやっている中間テストの問題がかなーり難易度がさがることは言うまでもありません。それぞれの難易度の異なるテスト結果・点数の集計をなんの補正もなしに単純に比較してあるものですから、非常に乱暴なランキングというべきですね。

だいたい、進学クラスの人たちの教科書・参考書と一般クラスの人たちのそれからして別物でしたからw
英語の教科書とかは特に露骨に違いましたね。高校生の作文と小学生のそれの違いに近い落差でしたw
それでも順位が上位というのは気持ちがいいものです。

以降、定期テストや実力テストと称する実は出題範囲限定もののテストの際はどんなことがあっても完璧に仕上げるようにしました。定期テストなどの校内テスト、小テストの類は平均点が90点を切らないように、できれば95点を目指しました。

それと、英語の教科書は進学クラスの人たちが使っているものを英語の先生にお願いして一冊分けてもらいました。
全文をノートに写して訳したものを時間が空いた時に英語担当の高瀬先生に添削してもらいました。
おだてのうまい若い先生で学校出入りの教材屋さんが試供品に置いて行った単語集や同意語イデオム集を「君ならできる」と分けて下さいました。他の人が持っていない参考書をもらったのがうれしくて暇さえあればそれを覚えるようにしました。いまでも持っていますw


ただ、入学してからの積み重ね・総合的な学力が問われる県下一斉テストや進研模試などは、校内の定期テスト成績に比べて非常に見劣りするものでした。県一斉で860位とか。

2年の1学期、県下一斉テストの数学の問題がどうしてもわからなかったので安本先生に聞きにいったら、「あ~。これは難しかです。古賀君にはわからんでよかです」とか言われている状況でした。
屈辱でしたが後になってから思えば、「そんな難しい応用問題ばかりに気を取られずに、それよりも基礎をきっちりやりなさい。取りこぼし多すぎ」という意味だったのではないかと思います。
でも、1年のころに比べれば大したものだと自分では思っていました。



2年生の担任の樋口先生もおだてのうまい先生でした。私に九大法学部や早稲田の法学部をすすめたのはその先生でした。
県下一斉テストで500位にも入れないぐらいの私に向かって「なんて他人事」「なんて無謀な」「なんて無責任」みたいな感じですね。

でも、おもに漠然とした危機感やグレードクラスの人たちへの対抗心から勉強していた私の中に「将来に対する憧れ」のような種火のようなものを一点ともしてくれたのは樋口先生ですね。


自分でいうのもなんですが、2年生になってからは、勉強ばかりしていました。
勉強ばかりしていましたが、高校生ですから好きな女の子とかもできたりします。
好きになったらちょこちょこその子のことをついつい目で追ってしまいます。自然目と目があったりします。目が合ったとき、その子がにこっとスマイルしてくれたりします。しかも何度も、目が合うたびスマイルするんですね。反則ですね。ますます好きになったうえに、あれだけスマイルするんだからあっちもこっちが好きなのかと勘違い野郎になってしまいました。
悶々としても時間の無駄なのでとりあえず思いを伝えましたが、勘違いが判明して玉砕しました。
即日、頭を丸刈りにしました。翌日教室に入ったらざわつきました。
「野球部でもないのに何で丸刈り?」とか聞かれましたが、「精神の新陳代謝です」とか言っていました。でもひとつの効果として、丸刈りにしたら勉強にもますます気合が入りました。




勉強のパターンですが、授業の復習です。とくに中間・期末の校内テスト、小テスト、実力テスト、出題範囲がわかっている類のテストは早くから準備を始めて100点満点を目指しました。
校内テストがないときは、先生からもらった参考書・問題集、それと余力があれば某福武書店(現・某ベネッセ)の某進研ゼミのテキストをやりました。某進研ゼミのほうは手つかずのテキストが溜まっていく一方でしたが。

あれもこれもやり散らかさずに、自分なりに理解できるまで、同じ問題が出たら必ずできるように、ということを最大の眼目にしました。

しかし、どうしても数学だけは伸びなやんでいました。
数学だけは100点満点でいえば65~80点から上には伸びませんでした。
物理は問題外で頭が受け付けませんでした。40点とかw
ということで理系での進学は放棄しました。
一時期まで、「理系のほうがなんとなく頭いいみたいでかっこいい」と妙にこだわっていたんですが、化学担任の江頭先生に「理系主要科目の数学物理が全滅なのに変なこだわりで適性のない理系にしがみつくのは愚かじゃないの」ともろに指摘されて目が覚めました。

まあ、事実です。単純な二桁以上のぱっと引き算ができない頭ですから。(ちなみに今でも車代の計算も間違えたりして時々自分でも呆れます)

でも、法学部っていうのもなんだかかっこよさげだったのでそれでもいいかと思いました。




というふうにいろいろ課題は多かったですが、今にして思えば、2年に進級前の春休みからの「できることからの心機一転」がすべての出発点だったと思います。

2年の終わり頃には1月の県下一斉テストでも200位ぐらい(ただし主要3教科で)までようやく上がってきました。
当時でいえば佐賀大学はOKですが、熊本大学あたりなら微妙なレベルだったと思います。
※ただ、5教科では県下668位でしたから、そっちの順位からすると合格できる国公立はほぼ皆無なんですが。



~3年生・1学期-夏休み-9月ごろまで~

 ~3年生・1学期-夏休み-9月ごろまで~

~3年生・1学期~夏休みまで~


晴れて文系の進学クラス・グレードクラスに編入されました。
相変わらず、数学がもたついていますが、昔を考えれば隔世の感があります。

新学期早々、九大の赤本を買って実際の2次試験を解いてみました。
ヤバいです。数学は全然解けないし、英語・国語は時間足りないし、合格する気がしません。

前途遼遠です。

県一斉でなんとかかんとか200位レベルなので当たり前なんですが。


5月の連休に父にお願いして九大の教養部(当時は六本松)を見に行きました。
後から思えば変哲のないあの病院の病棟みたいな六本松キャンパスが、その時は、雨上がりの青葉に映えてとてもいい感じに見えました。気持ちのいい風も吹いている掲示板の前を歩きながら、来年の5月にはここにいたいと思いました。

ひとりでちょこちょこっと六本松キャンパス内を10分ぐらい散策して佐賀に帰りました。

いまの生徒さんも、受験を前にした4月5月ぐらいに自分が入りたい大学を見に行くことがあるかと思いますが、集団でわいわいがやがや行くのではなく、自分ひとりで行くべきだと、私は思います。決意というものは、すくなくとも大学受験においては他人と共有するものではなく、自分だけの胸に秘めるものだと思うからです。

わいわいがやがやで行けば、ただの観光になってしまうおそれが多分にあります。


九大のキャンパスをひとりで歩いて「なんとなくいけたらいいな」がはっきりと「いきたい」に変わりました。
またはっきりとその目標をもった自分を自分でも不思議に感じたりしました。
九大法学部を勝手に理想化しているというか、偶像化というか、思い込みではあるんですが、強烈な憧れが私を駆り立てました。


前にもまして勉強ばかりしました。

6月の県下一斉テストは112位でした。超うれしかったですね。

九大法学部にはまだまだですが、でも、100位→80位~60位ぐらいになれば一つの指標として合格が見えてきます。



とりあえず、自分では得意なつもりの英語を完璧なレベルに仕上げつつ、国語は授業と某進研ゼミで補いつつ、世界史・化学は忘れない程度にして、夏休みが終わるまでに数学を旧帝大レベルに引き上げることにしました。

現状、数学だけはどうにもならないレベルでした。
出題範囲が事前にわかっている校内テストでこそ75~85ぐらいまで取れるものの、県下一斉テストや進研模試などでは100点満点換算で55~65点とかです。
100点満点でせめて80点台、マークシート式の共通一次(今でいうセンター試験)レベルで200点満点中170点、九大の2次試験で大問2問完答&3問目のそこそこの部分点を稼げる数学力がないとどうにもならないです。


夏休み前に薄い30枚60ページぐらいのキャンパスノートを30冊買いました。
結局のところ、数学も基礎からじっくりと完璧に理解していかないとだめだと思いました。
青(緑?)チャートの例題を完全に理解することから始めようと思いました。
2次試験レベルの問題をうんぬんの前に基本的な学力に不安が残らないようにすることです。


最初の例題からチャート式の問題文をノートに写すことから始めました。
とてつもない時間がかかります。でも、絶対に焦らないことに決めました。
このチャート式の内容を理解できてないで旧帝大レベルはあり得ないし、逆にものにできれば、必要十分条件ではないものの、間違いなく大きな前進だと強く自分に言い聞かせました。


夏休みが終わるまで、授業や特課以外の自学時間では、数学に3~4時間以上、国英に残った時間を振り分けました。
化学と世界史はとりあえず、校内の定期テストで90点以上を目指すレベルにとどめ、総まとめは秋にやることに決めました。(100点満点目指すのと90点を目指すのでは精度がぜんぜん違います)


小城高校では夏休み期間中に九重高原合宿がありましたが、そのころまでには質的にだいぶ手ごたえを感じ始めていました。
量的には数学の受験出題範囲からするとまだまだ全然カバーするには程遠いですが、あれだけ抵抗感のあったサイン・コサインなんかの、見るだけでクラクラしていた例のやつも普通に違和感なく扱えるようになってきました。

朝の九重高原のホテルの駐車場で生徒全員でラジオ体操をするとき、正面の山の頂の岩々がそれぞれ天を指して覇を競っているように見えました。ここでこうして頑張っている自分も、あの頂の天を目指してそびえたつ岩々のように覇を競う群雄のひとりになりつつあるようなロマンを感じたりしました。


合宿の行きかえりのバスの中で、2年生の時に高瀬先生からもらったイデオム集の総まとめを終えました。

夏休みが終わるまでに数学のノートを27冊消費しました。積みあがっていくノートに書き溜めたチャート式の例題を見直しながら、なんとかひょっとすると九大に届くところまで行けるかもと思いました。

秋口9月になって1年からそれまでの主要3科目の総復習をやろうと思いました。
親に頼んで1年のときから購買してもらっていたものの、ほぼほぼ虫食い状態にしか手を付けられてない、溜まりにたまった某進研ゼミのテキスト、添削テストの類を一気呵成にやることにしました。
国英数、1年生から放置してきたテキストが山のようにあります。
苦手だった数学も赤チャート、青チャートを地道にこなしたおかげでそこそこサクサク進みます。
ただ計算間違いや勘違い、早とちり、ケアレスミスの類があいかわらず足を引っ張っていましたが。


今にして思えば、模試などの実戦形式のテストでの得点アップに直接的に貢献したのはこの時期の総復習の過程だったかと思います。
でもその前に、いうまでもなく、その土台となったのは、なかなか順位があがらない県下一斉テストの結果にがっかりはしても焦らずに、地道に校内テストを確実に95点以上とることを積み重ねてきたことでしたね。
種まきして、苗床作って田植えして、肥料をまいて草取りして、害虫駆除して準備に準備を重ねたあとの、怒涛の稲刈りという感じでした。


9月の県下一斉テストでは、県下87位になりました。


超有頂天です。



気持ちのいい晴れた日に天山に登りました。
天山のてっぺんで大声で決意表明をしたいと不意に思い立ったからです。
どうせ誰もいないからどんだけでも大声で叫べると思いました。
山頂につくと、長崎からきたという長崎北高校とやらの生徒さん数名と引率の先生が一人、くつろいでいらっしゃいました。
なんでもいろんなところの夕日の写真を集めていて今日は天山山頂からの夕日を撮影に来たとのことでした。
ぬう。暇人め。ていうか、自分もぱっと見で暇人か。ていうか、夕方までいるんですか。
あなたたちがいたら、恥ずかしくて歌えないじゃないですか。
「こんぺーきのあしたーのそらにー」
10分間逡巡した後、半分やけになって歌いました。決意表明せずに下山したら、あとで後悔しそうだったので。
ちゃんと3番まで校歌を歌ったあと、「九州大学にいくぞー!」と下界と空とに宣言しました。
そしてそそくさと長崎北の人たちと視線も合わせずに下山しました。
やっぱり最高に恥ずかしかったですね。


九大の剣道部の同輩の森君が長崎北高校で、あとから聞いたらそこそこの進学校とのことでした。
知ってればそこまで恥ずかしがらずに済んだのにw



10月に入る前に世界史の総まとめをやりました。
山川出版の世界史用語集のすべての項目を大量の単語カードに写したり、穴あき問題に変えて自分で問題を作ったりしました。
最後らへんは手書きの時間が惜しくなり、高校の図書館で世界史用語集の各ページをコピーして説明文をカード表に貼り付けて裏に用語・項目を書いていきました。表面に貼り付けた説明文の要所々々を戦後の墨塗り教科書みたいに塗りつぶして、消された用語を裏面に書き留めるのも非常に有効でした。主要3科目の学習の合間合間に30分単位で時間をつくって作成したので2週間ほどかかりました。
最終的に単語カードで100セットを超えました。
ただ、いったんできてしまうと自分自身が作った教材なので超サクサクでオリエントからWW2終戦までの復習が数日で済んでしまいました。
今でも家の本棚の上のほうにチョコレートの箱の中に入れて保管されています。
そういえば、長男くんがセンター試験を控えた時点で、世界史の復習として2日間ぐらい利用してたみたいですw
ちなみに我が家では私の強制で子供全員世界史を選択するようになっています。
世界史はいいですね。これほど役に立つ科目もないでしょうね。ニュース見ても世界史知ってれば全然ものの見方が違ってきますね。世の中全般を見るにしても世界史の素養があるかないかで違ってくるんじゃないでしょうか。



化学も10月末ぐらいに総まとめをやってしまいました。
おもに某進研ゼミの教材を利用しました。今の某ベネッセさん、昔は某福武書店さんですが、非常に優秀な教材を提供なさいますね。
ただ小城高では購買してもちゃんとやらない人が大半じゃないでしょうか。
化学の素養も大人になってずいぶん役に立ちました。化学式その他、けっこう役に立ちますね。
おかげで「マイナスイオン発生器」や「健康水素水」なるものに騙されなくて済みますねw




 ~11月に突然のスランプとぐだぐだ~

~11月に突然のスランプとぐだぐだ~


ちょこちょこ「総まとめ」的なことをやりかけるこの頃になると授業の内容が若干負担になってきました。目指すところの九大入試レベルと授業内容の落差に無駄を感じることが出てきました。
授業中、「こんな簡単な問題をやってる場合じゃないって」と焦ってイラつくことが多くなりました。

思いあがっていたのかもしれません。
数日ずる休みして自分が思うところの「九大のレベルの勉強」をやったりしました。
たしかにその時は捗ったように感じましたし、実際そうだった面も部分的にはありました。でもその後数日間、生活のリズムというか学習のリズムというか、かえってぐちゃぐちゃになってしまいました。

学校を休めば今の自分に必要なところだけを効率的にやれると思っていました。でも、1時間1時間ごとの区切り、科目ごとの勉強量のバランスや切り替えが自分ではちゃんとできていなかったと思います。夏休みの間はともかく11月のこの時期に入ってからの偏った学習は害ですね。

また、そのあと、「やっぱりチャイムが鳴って否応なく科目ごとの切り替えがある、規則正しく無駄のない学習環境じゃないと」と思って学校に出てきても、受ける授業にイラついていたら精神的に消耗します。結局授業自体にも集中せず、かと言って別のこともできないので結局無駄な時間そのものになっていたと思います。


3年生のクラスに入ってから、私はこの文系クラスではほぼほぼいつも2位でした。

同じクラスに、入学式で新入生代表の答辞という誉の御役目をつとめて以来成績が常にトップの殿上人状態のきれいな女のひとがいました。その人に次いで私がいつも文系で2位でした。

しかしこの時期にきて、授業中イラつき始めてから定期テストの点数も落ち始めて、クラスでも3位、4位になることが出てきました。
それでも「このクラスで県下一斉テストで100位に入ったのは私とミス殿上人だけだ」と思っていました。(小城高校から県下100番以内というのは今でも校内ステータスじゃないでしょうか)



そうこうしているうちに貴重な数週間が空回りのうちに流れ、11月の県下一斉テストになりました。結果、元の木阿弥の県下182位まで後退してしまいました。
ミス殿上人以外の人たち二人にも追い抜かれました。
最悪な気分でした。



結局、やっと焦ることをやめました。イライラしないようにしました。ちゃんと学校に出るようにしました。そして授業は復習の時間だとして考えることにしました。
いまさらというぐらいの基本問題を授業でやっているときはその応用問題、発展問題を想定したりする形で授業を利用しました。





佐賀県下で50位、60位にランクインしたいと思っていたのに182位に終わって、高校生活最後の県下一斉テストで散々な結果が残ってしまい、さすがに時々不安になりました。


天山の連峰をみて「あの向こうに九大がある」と自分に言い聞かせました。
言い聞かせながら青葉の5月をあのキャンパスで迎えることを心に誓いました。

今の時代でいうところの中二病全開ですが、自分を勇気づけるために声を出して、深夜に歌ったりしました。

「忘れないわ/星降る夜に誓った言葉/このともしびを消しはしないと」
「忘れないわ/あかねの朝に誓った言葉/若葉にそまる春を呼ぼうと」

「あの頃たしかに僕等がいたね/誰も知らない僕等がいたね/なにも見えない明日に向かって/走る僕等がいたね」
「あたらしい時の流れの中で/いつかまた会える時が来るね/その時またここから/歩き出せばいいから」




九大の法学部はヤバいかもです。
でも、とにかく、やるだけです。
時間を有効に使って、集中して、焦らず、着実に。
人の目は気にせずに。
ありきたりですが、自分との戦いというんですかね。
最後は、気持ちです。



 ~受験シーズン、私立大学受験~

~受験シーズン、私立大学受験~




なんだかんだで受験シーズンが到来しました。

受験そのものに慣れるという意味で、西南学院とその翌日に福岡の予備校で実施された立命館を受験しました。
問題も簡単でしたし、試験会場への移動や雰囲気に慣れるためという感じでした。


どうでもいいことというか、若干気の毒な光景を目撃したのですが、福岡の予備校で立命館入試の英語の時間でしたが、後ろの席で「あぅぅうっ!」といううめき声がしたので、ついつい後ろをチラッと見てしまいました。

男子生徒が鼻を押さえて顔を上に向けています。口や手が血まみれです。突発性の?鼻血がぽたぽたと試験用紙に落ちていました。

どうするんだろうと思っていたら、試験官の先生がティッシュボックスごと大急ぎで持ってきてくれていました。鼻血止めの頭トントンの処置(当時は有効な応急処置と世間一般で思われていました)まで先生がやってくれているようです。
似たようなアクシデントが他にも他会場でありましたが、大体のところ、試験官の先生がとりあえず善後策を取ってくださるようです。
受験票を忘れてきたおまぬけさんもちょいちょいいましたが、大きな問題にはなっていませんでしたね。大事な受験票を忘れちゃダメですが、忘れてしまった場合でもキョドらずにふつうに申し出てくださいね。大丈夫です。



無謀でしたが、早稲田も受けました。

ただ、無謀に過ぎました。試験当日になってボールペン筆記だということを知ったぐらいですから。
鉛筆&消しゴムではなくボールペン筆記なんて初めての経験でしたから、国語も英語も世界史もぐちゃぐちゃの壮絶な解答用紙になってしまいました。文系科目にはけっこう自信を持っていたんですが・・・。
東京に連れて行ってくれた父には申し訳ないですが、大隈重信さんの銅像を見て歌舞伎町で焼き肉を食いに行ったようなものでした。
競争倍率も10倍とか20倍とかよくわかんないレベルでやれやれでした。
赤本のやりこみぐらいはやっとかないと意味ないですね。でもそんな時間はなかったですが。



年が明けて、九大プレ模試みたいな模試を1月の3日ぐらいに小城高校の校舎で受けました。

数学が訳わかんない感じでした。やったことなかったパターンの問題だったので「やった問題なら必ず解ける」ふうの勉強しかしてこなかった私はメタメタでした。基本的に暗記数学でしたから。

帰りに小城公園の岡の上のほうの社?に登っておみくじを引きましたが小吉の「怠れば危うし」でした。なんだかなあ。

どういうわけか模試の結果が何日たっても返ってこなかったですが、過去の出題パターンを網羅する形でいままでやってきた問題以外のめずらしいタイプの試験問題が本番で出たらその時はその時で、今はこれまでやってきたことの復習をやればいいじゃん。事ここに至っては自分にはそれしかできないし、今回の模試はもうどうでもいいやという感じでした。


 ~共通1次(いまでいえばセンター試験)~ ~共通1次から2次試験までの間~

~共通1次(いまでいえばセンター試験)~



私のときまで「センター試験」ではなくて「共通1次」という名称でした。今のセンター試験とおなじマークシート方式のテストですね。国公立受験者だけが対象でしたね。

当日、受験会場で小城高校一同が集まってみんなで気勢をあげたんですが、あれはかえって私にはよくなかったみたいです。
却って気負いすぎてしまった感がありました。それにほかの高校の人たちの気も散ってしまうのであんまり好きじゃないです。

また地元のラジオ局の実況インタビューにつかまってついつい不要なおしゃべりをしたのも良くなかったと思います。


試験会場の試験室に入りました。
初日ですが、いきなり受験票を忘れてしまいました。
「受験票を出してください。忘れた人はいないですか?」と試験官の先生が言われたので「そんなバカいるのかよ!」と思いながら受験票を机の上に置こうとしたのですが、どこにもなかったですね。
とりあえず別室でちょこちょこ手続きをしたと思います。

試験自体はぼちぼちのレベルでできました。



二日目ですが、苦手な数学もわりかしスイスイ解けました。
問題用紙に計算式や解答をががーっと書き込んで、大問がひとかたまり終わるごとにマークシートに黒塗りしていきました。
4問ぐらいの大問をしてもうひとつが確率統計か楕円?かなにかを1問選択する構成だったかと思います。
詳しいことは失念しましたが、ともかくも一通り全部解答してから問題文と問題用紙に自分が書いた答案をささっと見直しました。


とりあえずこれでいいかな~と思いながら、「あっそうか、最後にマークミスがないかチェックしなきゃ」と思って答案用紙を見たら、第3問目の大問のマーク欄が丸ごと空白になっていました。
問題用紙だけに書き込んで、マークシート用紙を塗りつぶしていないんですね。
大問一問ごとまるまる40点分?空白です。
瞬間手が震えて頭の中もまっしろになりました。


数瞬の自失のあと、問題用紙を確認して解答用紙を黒塗りマークしようとした瞬間、チャイムが鳴ってしまいました。
試験官の先生が「はい、終了です。書くのをやめてください」と言われました。固まっている私のいる机から解答用紙が回収されていきます。
「あああ~~」脳内で無能な声をあげていました。



すべての試験が終わってから放心状態で試験会場の佐賀大学から県庁の堀端を歩いて、辻の堂にあったセブンイレブンの軒先でずいぶんながいことぼーっとしていました。

19時ごろに帰宅して、晩御飯を食べながらぼろぼろ泣いていました。
大河ドラマの独眼竜政宗の初回がテレビで流れていたのをどういうわけか妙に今でも覚えています。



数日してから?小城高校の図書館で共通1次の答え合わせ、自己採点会がありました。
声高に「あ~~。ここ間違えたかな~~w」という割にはにこやかな感じで超余裕の、私なんかよりはるかに成績上位の理系の殿上人さんが談笑する声を、いくつか離れた机に座って情けない気持ちで聞いていました。
結局、国語180ちょい?英語185ちょい?数学130ちょい?世界史は90ちょい、化学は85~90?ぐらいだったかと思います。
数学が痛すぎます。


数日とちょっとしてから?、早稲田からの合否通知書が来ました。合格者の受験番号一覧表を一瞥して私の受験番号がないのはすぐにわかりましたが、何度も見直しました。もともと合格するはずのない早稲田受験でしたが、気が弱っていたせいかいわゆる藁にもすがる思いっていうような心境だったんですかね。5,6回見直したのを覚えています。載ってない受験番号というのは何度見ても載ってないですね。






~共通1次から2次試験までの間~


新しいことはやらずに、過去に解いた問題集やノート、某進研ゼミのテキストの見直しや、プリント、ひたすら復習をする日々でした。やってないのが本番で出たらそれまでだと半分あきらめました。この頃になると、自分が臨機応変の人ではないのがわかりかけていました。時間をかけて理解できたものだけしか本番でできない人なんですね。試験会場で初めて見るような問題を手際よく解いていけるような頭じゃないみたいだなぁ・・・と。今でもそうですが。
復習したことの積み重ねだけが自分のスキルという感じでしたね。この頃から。

 ~九州大学法学部・2次試験~ ~広島大学法学部・2次試験~

~九州大学法学部・2次試験~



大失敗した1次試験でしたが、東大なんかと違って九大には足切りがありません。その代わり倍率は4倍ちょっとぐらいだったかと思います。
父に博多駅のセントラーザホテルまで連れてきてもらい、翌日は単独で博多駅で三色鶏飯弁当とお茶を買ってから受験会場の六本松キャンパスに行きました。
妙に落ち着いていました。
試験室に入って試験官の先生が「それでは受験票と筆記用具、時計だけを机に残してください」と言われて、またしても受験票を忘れたことが判明してもすごく落ち着いていました。
教官の先生たちが何人か控えている別室に案内されて、ちょいちょい手続きをしている間も、「試験開始時間に間に合わなかったらいやだな」と若干の危惧を感じたもののなぜかびびっていなかったです。
受験票忘れの手続きをした後、先生(教養部の英語の宮原先生でしたねw)から「じゃ、さよなら」と言われてちょっと縁起が悪いように感じはしたもののあまり気にはならなかったです。
ふつうに受験会場に戻って、ふつうに受験しました。


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あるていどの大学(世間一般でいうところの「いい大学」)の受験(主戦場の2次試験)では普通、英語ではあまり差がつかないのではないかと思います。
英語は出来て当たり前というか。
※極端に英語が得意である必要はないですが、そこそこの英語力(受験での英語力)は必要です。英語が超得意な人が100点満点で95~100点得点するような場合、そこそこの英語力があれば85~90点は取れるんじゃないかと思います。通常、「超英語得意な英吉くん」⇔「そこそこ英語得意な受験生」でも得点差は5~15点ぐらいじゃないでしょうか。ある程度のレベルに達したら英語では大差はつきにくいと思います。逆に言えば一定レベル以上の力がつけば大崩れすることが少ない科目だとも思います。その意味では努力して一定レベルに達すれば力強い味方になりうる科目ですね。


そのレベルまで到達するには、単語集一冊、イデオム集一冊、構文集一冊を完璧に覚えて、あとはどれだけたくさんの英作文と文章問題をこなすかにかかっているでしょう。

単語集は、同義語・類似語中心や、カテゴリごとに単語相互に関連性をもたせた編集をした単語集がいいです。ひとつ単語をおぼえれば5つぐらいは同義語、類似語、反対語、熟語などを関連付けてあるようなやつですね。

イデオム集も同義語中心の編集をしたものがおすすめですね(もちろん反対語も)。構文集はオーソドックスなものでOKだと思います。


※下のリンクは私が現役時代のときにはなかった参考書ですが、いまはいいのがあるみたいですね。
「鉄緑会東大英単語熟語 鉄壁 鉄緑会英語科」 という本が私のおすすめです。素晴らしいですね。 

※うちの受験生はこれだったようですね。英単語はこれで十分かと。今の私が見てても楽しい本です。語源・イメージ・類義語との関連付けが秀逸です。今の人たちはいいなあ。



「少ない数の英単語/イデオムを確実に覚える」のではなく、「互いに関連性のある単語/イデオムを極力数多くいっぱいたくさん」覚えてください。多少不確かでも、イメージだけでも、「こんな感じの意味だったかな?」ぐらいでもいいです。どうせ半分は忘れてしまいます。普通の人は何回も何回も繰り返し覚える作業を繰り返します。そのなかで関連性のある言葉どうしをねばねば納豆みたいに連想ゲームみたいにくっつけて覚えれば、定着率が劇的にアップします。そして一見逆説的ですが、たくさんの単語を覚えるほど記憶に残る定着率もアップしていきます。

力がつかないうちに難しい硬い文章問題に手を出して時間を消費するのはやめましょう。ミルクしか飲めない赤ちゃんがぶ厚いステーキを食うようなものです。

知っている単語も少なくてまだまだ力不足のうちは、簡単でわかりやすい文章問題を大量にこなすことから始めた方が近道だと思います。英作文も幼稚と思われるぐらいの高校受験レベルからでいいと思います。英語赤ちゃんは離乳食からですね。そのうち英語そのものに慣れてきますので、それが初期の目標です。

単語集、イデオム集は休み時間、通学時間、気晴らしの散歩タイムなどをちょくちょく利用して空き時間だけでコツコツ覚えてしまいましょう。単語集やイデオム集は5~10分単位の空いた時間にやってください。案外、これができるかどうかで勝負が決まったりします。わたしのように普通の頭しか持ってない人は、焦らず、しかし、弛まず、「隙なく」コツコツと繰り返しゲリラ的に英単語/熟語を詰め込んでください。数学は「考える」科目ですが、英語は「慣れる」科目です。しかも二つの意味での「慣れ」です。英語に対する慣れと、コツコツ勉強すること自体への慣れですね。「古賀君て時間があれば英単語やってるよね」といわれるぐらいコツコツやっていけば習慣になります。それだけで相当な語彙力がつきます。(とか言って数学も「考えることに慣れる」科目ではあるんですがw)

相撲でいえば、英語ではどちらかというと、ぺちぺちぺちぺち「つっぱり」をかますような、5分10分単位の、ちょこちょこ隙を見ておぼえていく負担にならない程度の積み重ねがかなり有効ということですね。

「さぁ~。英語の勉強するぞ~~」とまとまった時間で、相撲でいえば「がっぷりよつ」の勉強するのは、文章問題&英作文&構文集です。
ぺちぺちつっぱり:がっぷりよつ=4:6ぐらいじゃないかと思います。

ある程度力が付き始めたら、中ぐらいの難易度の文章問題をこなして行きましょう。難しくて硬い文章問題はだいぶ英語に慣れてからでいいと思います。英作文に関しては、そんなに格調高い文章なんて必要ないと思います。むしろシンプルな英作文で表現できればそれが一番いいかもと思います。ただ最低限、日本人の発想にはあまりない、無生物主語や使役動詞の自然な使いこなしはできるようになる必要があると思います。

英語は毎日やりましょう。特定の科目に集中的に取り組んでいるときでも、時間少なくてもいいですから、毎日です。
そんな感じでやれば、運が良ければ1年ぐらいで「英語は出来てあたりまえ」の旧帝大合格の入口に立てます。

「世間一般でいうところの『いい大学』の受験では、英語では差が付きにくい」と言いましたので、「英語ができるようになっても受験で決定的に有利にならないなんて、なんだかありがたみがないなあ」とお感じになる生徒さんがいるかもしれません。

でも実は、田舎の進学校のぱっとしない生徒さんがそこまで自分を持っていければ、半分勝ったようなものです。そこまでコツコツ頑張れるあなたなら、なんとか他の科目でも突破口が開けるでしょう。田舎の中途半端な進学校のあなたが、田舎を脱出して広い世界に踏み出した大きな一歩です。


※世の中には「大学受験での英語は役に立たない」といってバカにする方が多いですが、世の中に出て「実践的な英語」の訓練をする場合に生きてきます。受験英語でもやる意味は大きいです。ネイティブからみたら多少古臭い表現がまじっているとしても、英語は同じ英語です。それに実際問題、受験で英語の点数が極端に悪かったら合格できる大学が極端に少なくなるし。(それに財政的に全国の高校でネイティブスピーカー相手にそのまま通用する実践英語を生徒さん全員に習得させる体制なんて永遠にとれないと思います








ある程度のレベルの英語の学力があるとして、2次試験における実際の点数勝負での勝負の分かれ目というか、差がつきやすいところというか、賭博性の高いのはやはり数学だと思います。
直感的なひらめきが必要な場合もありますし、そのひらめきが単なる思い違いというか、出題者の用意した陥穽だったりすることもありますし、切り口を間違えるととんでもなく回り道になったり、解き方の大筋がわかっていてもケアレスミスで正答には至らなかったりと、センスのない人にとっては非常にリスキーな科目です。大体法学部なんかを志望してきた時点でほとんどの受験生が似たり寄ったりの文系人間のはずです。
だからこそ、国立文系の受験勝負は数学で決するのではないかと思います。まあ、とか言いながら理系も数学で勝負じゃないかとは思いますが。


大崩れしにくい英語とはちがって、文系理系問わず数学はそこそこ得意な人でも大崩れするリスクが常にあると思います。数学が超得意な人(数吉くん・神の領域)が100点満点で95~100点得点するような場合があったとして、それなりに数学の得意なひとでも何かの拍子で40~60点しかとれないことが往々にしてあります。たいていの場合、受験会場の本番では解けなくても、試験が終わってから冷静になって見直したら解ける「そこそこ数学が得意な受験生」がほとんどみたいですね。

本来は正答できる能力があるのに「本番で時間内に解けなかった」ということですね。
残念なことですが、まさに受験ではそこが勝負であって、数学が得意な受験生であっても出題問題によって運・不運が分かれることも事実だと思います。

英語の場合は、「超英語得意な英吉くん」⇔「そこそこ英語得意な受験生」の得点差が100点満点換算で5~15点あるいは20点ぐらいのことが多いと思いますが、数学の場合は「超数学得意な数吉くん(神の領域)」⇔「そこそこ数学が得意な受験生」の差は100点満点換算でも最大40~60点ぐらいの大差がつくことがあるということですね。

うちの長男くんは本来数学が得意だったのですが、東大の2次試験が終わって東京からゾンビのようになって帰ってきました。数学が本番でからっきしだったみたいですね。あとから見直したら全部解けたといってましたが、後の祭りっていうやつですね。ほぼほぼ合格はあきらめモードでしたがラッキー合格後の試験結果の通知(得点の内訳)を見るとよくこれで合格できたなというぐらい数学の点数が悪かったですね。

数学に関して言えば、実際の入試での得点結果のランキングは「超数学得意な数吉くん(神の領域)」⇔「そこそこ数学が得意な受験生でラッキーだった人」⇔「なんとかかんとか合格入口レベルの数学力の受験生でラッキーだったひと」⇔「そこそこ数学が得意な受験生で不運だったひと」⇔「なんとかかんとか合格入口レベルの数学力の受験生で不運だったひと」が混戦模様で混在・分布しているはずです。

ということは、数学が不得意な生徒さんでも、なんとか頑張って、目指す大学の合格入口レベルの学力(過去問レベルの問題を理解できて、よく出るタイプの問題なら解けるぐらい)をつければ、運次第ではどうにかなるということなんですね。出題問題によっては数学が得意な受験生たちと互角に戦えるんです。(そうなるまでにはそうとうな努力が必要ですが。でもそれができればそれだけでも人生の記念碑です。自分で自分を褒めてください。あとの運は割り切ってください。数学は不得意でも「人事を尽くして天命を待つ」「人事を尽くさずして天命を待つべからず」です)。

旧帝大の合格入口レベルまでならチャート式を完全制覇すれば行けるのではないかと思います。あとはその習熟度ですね。補足に某進研ゼミもしくは某Z会などの教材で実戦訓練をどれだけやれるかでしょう。






そのつぎに賭博性が高いのは国語の現代文じゃないかと思います。
ときどき「こいつ、何言ってんの?」というような文章がありますよね。そう思った瞬間負けなんですが。そう思ってしまうこと自体がまだまだ力が足りないということなんでしょうが、それでも事実として自分の中にすぅ~っと入ってくる問題文と消化できない異形異物の集合体みたいな相性の悪い問題文があることも確かだと思います。


現代文の勉強は高校の授業だけではツライと思います。某進研ゼミなり某Z会なりの良質な教材の助けが必要なんじゃないでしょうか。外連味のない良質な問題をある程度の量こなして行かないと対応できないのではないかと思います。
個人的には、某進研ゼミの国語のテキストは素晴らしいと思います。読み物としても素晴らしい文章が多かったです。受験勉強なのに感動を覚えた文章がいくつかあったような記憶があります。






※塾ですが、基本的には「絶対に必要」なものではないと思います。まずは、自学が基本でしょう。本番の受験会場には塾の先生はいませんから。自分で問題を解いていくのが受験です。チャート式、某進研ゼミ、某Z会などの良質な教材を自分で繰り返し学習すればそれでいいと思います。
そのなかで解説を見ても(解説を書き写して解説の思考をトレースしても)、どうしてもわからないところがあることが多すぎて、学校の先生がなかなか捕まらないのであれば、補習塾・Q&A形式のマンツーマン指導の塾を検討するといいと思います。大勢を集めていっぺんに複数の生徒さんに講義する授業形式は私個人はおすすめしません。

私自身は個人でやっていらっしゃる補習塾にいっていたのですが、受験勉強での得点力アップに資したかといえば、ほぼ関係なかったかと思います。ただ、先生が人間的にすばらしい方だったのでその初老のおじさんの雑談や人生観を聞きに行っていたようなかんじでした。本来は週に1回のスケジュールでしたが、3年生になってからは月に2回行くか行かないかぐらいでした。9月以降は2か月に1回とかになってしまいました。どちらかというと「わからないところを聞きに行く」というよりは、先生への質問を通して「いま自分はこれだけ頑張っていて、昔と違ってこんな難しい問題にチャレンジしているんですよ!」ということを報告もしくはアピールしに行っているかんじでしたね。

わたしの長女さんは3年になってから本人の希望で数学目的オンリーで塾に行きました。
長男くんは結局塾には行かずじまいでした。いつも、県施設のバルーンミュージアムのフリースペースや図書館で閉館時間ぎりぎりまで自習していたみたいですね。

塾に関して言えば、家庭の経済状況がゆるす場合でなおかつ、自分でその必要性を感じるなら行けばいいだけのことです。かりに経済的に塾に通える余裕がないからと言ってそれで受験で不利になるかといえば、ぜんぜんそんなことはありません。「塾に行っていないから不利になる」という強迫観念を感じる必要はぜんぜんありません。
むしろ自分で自学をやり込まないで盲目的に塾に通う人はたぶん見通しは厳しいです。もし塾に行くならいったんは自力で頑張ってみて、自分なりの課題がはっきりと見えた時点じゃないと意味ないですね。その段階を踏まえてからの明確な目的意識と課題をもっての塾通いであれば、乾いた地面に水がしみこむように各科目が頭に入っていくでしょう。

でも、そのまえにもう一度きちんと問題集の解説と向き合って、解答の思考をなぞる作業を自分でちゃんとやったかどうか再点検してくださいね。


ただ、塾には行かなくても、良質の教材を買ってもらうのは必要最低限度の分は、なんとか親御さんにお願いしなきゃならないと思います。旧帝大チャレンジは教科書オンリーではほぼ不可能だと思います。買ってもらった教材は完全制覇してください。3回は繰り返してください(3回目あたりは目で追うぐらいで十分復習になるかと)。そうするとたくさん買っても意味がないことがわかります。

※もちろん、3回というのは「ひと通りやったすべての教材」についてです。中核的なメインの参考書、問題集については20回といわないぐらいに、ぼろぼろふにゃふにゃになるまで使い込むことになります。一生懸命にやってれば自然とそういう風になってきますよ。



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九大の2次試験で国英数がどの順番であったのか不思議と忘れてしまいましたが、幸い現代文は好きなタイプの文章でした。
英語はほぼほぼ不安の残らない内容でした。英作文で「子供心に・・・・と思ったものだ」という類の問題で苦し紛れの英訳をしたのが若干引っかかったぐらいでした。


問題の数学ですが、ラッキーでした。
「かつてやったことある問題がちょこっとだけ捻ってある」ような感じの問題が続いてきました。
2問完答して3問目の3分の1の部分点獲得が目標だったと思いますが、3問完答に近かったと思います。
望外の結果というか、展開でした。


でも一次が一次なものだったのでどうかなあという感じでしたが、まあ今更仕方ないので、くよくよせずに帰りました。
共通一次の得点は二分の一に圧縮される傾斜配分だったので、共通一次で失った数学の大問40点のロスも20点の損失で済みます。


でも20点でも大きいよなあ。しかたないけど。



1週間後、九大2次試験のときに忘れていた受験票の郵送を指示されていたのをまたしても失念していて、期限ぎりぎりになって気づいて事務局に速達で郵送しました。そのあとで冷や汗をかきました。

親にはもちろん内緒です。







~広島大学法学部・2次試験~



この年から2つの大学を受験できる制度に変わりました。前の年までは1校しか受けられなかったんですが。
なんでも当時の中曽根康弘首相さんの主導で東大と京大は同時に受けれる制度にするべきだとかなんとかで、そうなったみたいでしたね。

とりあえず、第二志望は広大の法学部にしていました。世間一般に言う滑り止めとしての受験でしたが、なんだかこころにもやもやっとしたものがあっての受験でした。

心のすみっこで、「九大落ちて広大うかったらちょっと嫌だな」という思いがありました。

広大を受けることになにか通過儀礼的なものを感じつつ、第二志望を受験しないわけにはいかないだろうから受験しなきゃという感じでした。



根拠のない、しかし強烈な憧れで九州大学法学部と決めていましたから、すべてのこれまでの努力は九州大学に行くためだけのものでした。

本心から、徹頭徹尾、九州大学一本でした。

広島大学と九大を比べてどこがどうというものではなくて、とにかく絶対に九州大学法学部でした。

若者がいだく憧れというのは、あとから大人になった自分が振り返って見たら思い込みと偶像化もしくは錯覚の一種かもしれません。多分そんなもんです。でも、とりあえず、第一義的にはそれでいいんです。
大なり小なり、何かを目指す人にはみんなそういう面、一種の視野の狭さがあるものだと思います。

世界史にでてくるフランス革命やこの国の明治維新の登場人物たちも、あるいは現代の大きな会社の社長さんも小さなベンチャー企業の社長さんも、芸術家もスポーツ選手も、突き詰めれば本質は同じ類のものだと思います。
自己満足かもしれない自己実現への思い込みと偶像化とがそれぞれの人々の原動力たる憧れの正体、もしくは出発点だったとしても、それが歴史と文明を回転させてきたのではないかなと思います。



大げさに言えば、そんな感じですが、ただ現実には次善の策も講じておかなくちゃです。

ひとつのものを目指すということと、挫折した時の担保を用意するのはまた別のことです。
次善の策の客観的な必要性とそれを講じる余力があるのなら、布石をするのは自分の人生に対する自分の責任ですね。
それを「逃げ」とか自分で引け目を感じたり、「第一目標に対しての真剣さが足りない」とか次善策を準備することを非難する人は人生をリアルに考えているのかどうか、疑問に思います。

憧れとロマンは大切です。でも、最低限は処世的に賢くなきゃダメです。

そういう意味で大人になった今の私の視点から言えば、当然の広大受験なんですよね。
客観的に言えば、本命の九大に挫折しても道はひとつじゃないですから。

今の私が当時の私にアドバイスするとしたら「なにぬるいこと言ってんの。甘えるな。それはそれ。これはこれ。そこが憧れている大学じゃなくても、第1志望じゃなくても、ひとつひとつの試験をきちんと、最後まで気を抜かずにやり通しなさい。それが自分自身の人生に自分が責任を負うということでもあり、サポートしてくれた周囲の人たちへの責任だから」と相当厳しく叱るんじゃないかと思いますね。




※ちなみに、さきの早稲田受験は単なるイベントというか、気の迷いでしたね(それも樋口先生の無責任な扇動からなんですが)。それも今の大人の私なら「ちゃんと対策やってんの?」「無駄と分かってやってるの?無駄かどうか調べてもいないの?」「やるべきこともやってないでよく受験できるね」と、くそみそに言うでしょうね・・・・







ともあれ第2志望の広島大学法学部受験です。これが最後の試験です。

気乗りはしないながらも落ちるのはやっぱり嫌です。
早稲田以外は全部合格して4勝1敗を目指すことにしました。
その意味では気合が入っていました。子供なので気分がコロコロ変わりますwww

父親に広島までついてきてもらいました。佐賀の街の玉屋デパートでもキョドるぐらいの田舎少年だったもので、広島までの単独紀行は危険すぎます。実際、九大2次試験の帰りに、さして乗り入れ路線が複雑でもない博多駅でホームに入ってきた列車に反射的に乗ってしまい、本来の所要時間の倍以上の時間をかけて佐賀に帰ってきたぐらいでしたから。

私の父は車屋さんなんですが、受験シーズンのホテル予約を知り合いの広島の車屋さんが段取りしてくれました。
そのお礼も兼ねてということで、父のおごりで3人でテールスープの美味しいお店で夕食をとりました。
そのあと大人二人は酔っぱらって夜の街に消えていきました。
私はもちろんタクシーでホテルに帰りました。


ちょうど12時半ぐらいでしたか、ベッドで寝ているとバタン!とドアが開閉する音が聞こえました。
続いてズシン!バサッ!ドサッ!ゴトッ!と明らかに酔っ払い特有の乱雑な動作からくる無駄に大きい物音が連続しました。
うるさいなあ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛~~~」
「ふぅうううぅうぅうう~~~」
「うぇっ」
それから風呂場のドアを開けっぱなしにして無駄に大きいシャワーの音。
「ふぅぅぅうう~~~」
ガサッ!バタッ!ギシッ!バサッ!
「あ~~飲んだ飲んだぁ~~。あ~~。寝とるかぁ~~」


いやいやいやいや、お父さんのせいで起きちゃいましたよ。

バサッ!ゴソゴソゴソ・・・・スゥゥ~~スピ~~

あ、やっと就寝ですか。私もさっさと寝てしまいましょう。

・・・・・・・

ズガガガガガガガガ・・・・・スゴゴゴッゴゴッ!グゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
ズガガガッ・・・ガガガガガ・・・・・スゴゴゴッ!・・・ゴゴッ!グゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
ガガガガ・・・・・スゴゴゴッゴゴッ!グゴゴ!



寝れない!寝れない!絶対寝れない!
殺人的ないびきです。これは反則でしょう。超反則です。
音のひどさも反則ですし、受験生の引率者としても酔っ払い乱入&睡眠妨害なんて懲戒ものです。


ちょっとこのままでは、疲れ果てて夜が白むまでぐらいになってからはじめて落ちるように眠り込むような感じじゃないと、寝れないことが予想されます。


独断ですが、フロントに行って別室を借りれないか相談することにしました。
深く考えずに廊下に出ました。
数歩歩いて、自分がグンゼの白いよれよれブリーフ1枚、上半身裸のヤバい姿だったことに気づきました。
もともと裸族の傾向があってしかもホテルが程よい室温でしたので、このときは準裸族だったんです。

いったん部屋に戻ることにしました。


オートロックでドアが自動的に施錠されてしまっていました。

日常カギを持ち歩く習性のない昭和当時の佐賀の田舎少年の悲劇ですね。
あのころは自宅も自分の離れの勉強部屋もいつもフルオープンの施錠なしでしたから。

非常にヤバいです。
白いパンツ一枚で深夜の廊下。非常にヤバい状況です。
でも、どうしようもありません。
ロビーにあるフロントまで行くしかありません。
廊下の壁に吸い付くような怪しい側壁かべちょろ歩行?を20数メートル。

やっとフロントのあるロビーに入るところまで到達すると廊下の壁に貼り付いたまま顔だけロビーに出して小声というか、無声音で「あの~~」「あの~~」「すいません」と蚊の鳴くような声でフロントのスタッフさんを呼び出そうと1分間試みました。
ですが結局、無駄だったので思い切ってロビーに出てフロントの呼び鈴を鳴らしてスタッフさんに出てきてもらいました。

超恥ずかしかったですね。


カウンターに出てきてくださった若いホテルスタッフさんにしどろもどろに状況を説明して部屋のドアを開けてもらいました。
その瞬間、グゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!と誇張でなくて耳をつんざくいびきです。

スタッフさんは私が明日受験ということをご承知でした。
「うわっ、これは無理ですね。空いた部屋がありますから、そちらに移動するようにしましょう」と別の部屋を段取りしてくださいました。
新しい部屋に移ったものの、今度はなんだか興奮して眠れません。
なんだかんだで結局4時半ぐらいに知らず知らずに寝入ったと思います。


朝起きてやっぱり眠かったですね。
ホテルで父と別れて受験会場の広島市内の予備校に行きました。
佐賀に帰ったあと父は母から相当責められたみたいです。連れて行った親が子供の受験妨害をしてどうするのかということですね。離婚しかねない深刻さだったらしいです。

広大受験の感触はなんだか全然ぱっとした出来じゃなかったです。
当たり前にできたのは英語だけで、数学はなんだかなあと自分でも納得しない答案で解答用紙を埋めてしまった感じでした。最後の国語では、私が座っていた窓際の席に差し込む直射日光がうざったくて暑くて途中でぼーっとしてしまいました。
国語の一番最後の問題を解くころには早く終わりたくて、書きなぐる感じで解答用紙を埋めていました。
全般的に不出来な印象でしたが落ちるとは思っていませんでした。そんなに気にしていませんでした。



試験会場を出ると出入り口で地元の予備校の人たちが今日の試験の解答みたいなチラシを配布していました。
チラッと見ると少なくとも正答じゃなかった間違い箇所が二つ三つ目についたので、気分を壊してくずかごに捨てました。それでも根拠なく、7割がたは合格するんじゃないかなと思っていました。
新幹線で博多駅まで行き、そこでいったん下車して本屋さんで前から読みたかった中公文庫の世界史の通史を買いそろえました。

やっと受験が終わりました。



 ~発表当日~

~発表当日~


広島大学の合格発表が11:00ごろ?正午ごろ?、九州大学が13時ごろ?同日の発表でした。
2時間前後ずれていて広大の発表のあとに九大でした。
広大の合否結果を知らせるのを頼んでいた方からなかなか知らせが来ないので、やきもきした父が広大の学校生協に電話をして確認をしてもらっていました。なんか生協の人に悪い気がしてなんだかなあ。

落ちていました。

ちょっとショックでしたが、妙な得心もありました。1次の大ポカと不出来な2次ですから、普通に考えてむしろ落ちる方の確率が高いはずですね。
たぶん広大の受験が終わってから、現実逃避モードに入っていたんじゃないかと思います。
※広大は共通1次の配点は2分の1圧縮とかの傾斜配分ではなくて100%最終合計に反映される方式でした。共通1次での痛恨の失点40点もそのまま反映されてしまうので、不出来な2次試験での得点との合計総得点は相当酷かったはずですね。


広大の不合格の事実が判明してから、私は代々木ゼミナールもしくは河合塾への入塾を希望し、父は立命館への進学を押し込むという路線闘争が数十分続きました。
広大に落ちてて九大に合格してるわけがないですから。普通はそうです。で、世の中のものごとの7割ぐらいはふつうの結果にしかならないもんです。希望的な観測や期待をするのは個人の自由ですが、それをもって今後の指針の基礎・根拠にはできません。
いくら田舎少年の私にでもそれぐらいはわかります。



「もう立命館には入学金を払ってある(けっこうな金額でした)」「浪人して九大に行くよりも立命館に現役でいった方に価値がある」「浪人して九大にいってもいかなくても人間の価値にはたいしたちがいはない」
どうやら息子として選択の余地がないと観念しかかったところで九大の発表時間でした。

佐賀の自宅にいて福岡・箱崎の掲示板を見れないので、某予備校提供の「九大合格者氏名速報」みたいな番組をみることにしていました。
今では考えられないことですが、そのころは合格者の実名をテレビ番組で放映していました。
とりあえず親子そろって黙って見ました。

あいうえお順です。
自分の名前が流れています。
ふたりしてびっくりしました。

とりあえず、小城高校に行きました。
先生方にお礼を言いました。
担任の吉田先生から、最後の九大プレ模試は散々だったこと、しかも数学は200点満点中35点という驚異の得点だったので結果を伏せていたことを聞きました。


私の無謀な挑戦はなんとかハッピーエンドの結末をむかえました。
あんまり現実感というか実感が湧かなかったですが、ふわふわとしてうれしい気持ちでした。

結局、西南学院大学、立命館大学、九州大学に合格し、早稲田大学と広島大学に落ちました。


後日九大に入ってから新入生歓迎コンパで聞いたんですが、九大と東大・一橋などを同時合格した人たちが九大入学を辞退したため、いったん不合格になったあとから大学事務局からの電話による通知で繰り上げ合格になった人たちがそこそこいたみたいです。
新歓コンパのカラオケのステージで「ぼくは電話で合格しましたー!」とか河合くんがマイクで叫ぶと「おー!」と雄叫びで応じて盛り上がっている人がそこそこいましたね。

ということは、九大に関してはぎりぎりすれすれでもなかったのかな?と後日思ったことでした。


~とりあえず、一言~

 ~とりあえず、一言~

~とりあえず、一言~


この年の小城高校は九州大学に現役で私を含め5人が合格して全員九大に進学しました。
(理系・お三方、文系・ミス殿上人+おまけ1名)
この年はたまたま優秀な人がいつもの年より多かったみたいです。
このころは3年間で2人?ぐらいが現役で九大ぐらいだったと思います。

他の4人の人たちは私から見れば頭の出来が違いすぎるという感じの人たちで、カーストが違うというか、いつもいつも県下一斉テストの上位者さんたちでしたね。
県内でもバラモンクラスじゃなかったでしょうか。もちろん私は県下順位ではバイシャぐらいのことが多かったですから、2階級違いますね。畏れ多くて小城高校在学中はあまり話したことはありませんでした。


他の4人の人たちは順当だったとおもいますが、私の場合は私自身も含めて、親も、先生方もびっくりの結果でした。宝くじが当たったというかんじです。むろん、当たりそうな宝くじを何とか買えるための努力と努力と努力をしてのことでした。数多くの間違いと失敗と非効率を繰り返したうえのことではありましたが。



この受験は私にとって一生の財産になりました。
つづく九州大学での4年間もかけがえのない宝物となりましたが、小城高校の一般クラス経由で九大に行こうとしてもがいていた日々は私の原点ともいうべき大切な宝物です。


昔も今もさほど進学実績がふるっていない母校ですが、あなたが今いるのとほぼ同じような状況、環境下でなんとか頑張ってラッキーを手に入れた小城高生もいることを知ってもらえればと思います。



あなたが自分なりのこころざしを立てるのを願っています。

出来たらこれ以上ないぐらいに頑張って、身の程知らずな目標に向かって精一杯背伸びをしてほしいと思います。

あなたの青春に幸多からんことを。仮に失敗してもダメもとです。

ありがとうございました。



2018.4.6
協和自動車株式会社・タックス佐賀 代表取締役社長 古賀慶仁

この文章をもって、私をご指導くださった当時の小城高校の先生方への感謝にかえさせていただきます。
勝手ながら、ここでひそかにかくれてこっそりお礼申し上げます。



※佐賀ではなにかと受験の対象は九大ばっかりですが、北海道大学なんかもすごく楽しそうです。北大の剣道部なんかを見てるといつもお祭り騒ぎで芸達者で、のびのびとしていてとても雰囲気のいい感じでしたよ。

♪ア~イアイ ア~イアイ 七帝大だよ~
♪東大 京大 おりこうさんだよ~
♪東北 名大 阪大 九大 まあまあ おりこうさん~
♪北大 北大 おばかさんだよ~

とか七帝戦で歌ってましたwww
※先日、2019.7.14に福岡武道館で九大主管の七帝戦があったので見に行きましたが、あいかわらず、北大の剣道部は応援が賑やかでしたね。30年たってもお祭り剣道は健在なようですwww


※大学受験のための勉強を無味乾燥で無意味なものと決めつける人たちがたまにいますが、大学受験のために勉強する内容はすべて、これまで人類全体やあるいはこの国がその歴史の中で培ってきた英知の結晶だったりします。
受験生にはそこまで思いをはせる余裕はないですが、じつはそうなんです。
決して味気なくて無機質的なものではなく、じつはその知識のひとつひとつに様々な人たちのドラマや想いがあったりします。
本来は夜の校舎のガラスを壊してまわるような甘えた歌で侮蔑されるようなものではありません。(古いかw)
進学校にせっかく入ったんですから、とりあえず、自分の人生を切り開く努力の中で、受験科目の知識をガンガン詰め込んでくださいw
ときどきその知識の大切さがわかる瞬間があったりします。そのうちw

※そういえばガラス割る歌には受験勉強が意味ないじゃんみたいなフレーズは直接にはなかったですねw
まあ、でも問題外というか。普通に考えると親に学費出してもらって何やってんだかという感じですねw






※とりあえず、以上、いきおいで書き下した文章(あとからちょいちょい加筆)でしたが、別項で箇条書きにしたものをあげておくことにします。
参考になれば幸いです。
といってもまだ書いてません。作文とアップは後日にはなりますが。ちょっとでも参考になればと思います。1年以内に書こうと思っています。でもすいません。書かずに終わるかもです。


●中学生へ・普通高校に行く意味
~とりあえず、ips細胞になること。なりたいものになれる可能性を広げること。自分の人生の主人公は自分。自己の人生への当事者意識~

●高校生へ・1年生へ
~目先の成績にこだわらない。「本当に」「わかる」ということ。本質を大切にすること~

●高校生へ・2年生へ
~勝負のとき。あえて成績・順位にこだわる学習。自分なりの勝ちパターンの確立~

●高校生へ・3年生へ
~自分を強くもつこと。最後は気持ち。憧れの力~

●親御さんへ・子供の進学サポートについて思うこと
~頑張ってくれれば、それでいい。なるようにしかならない~

●塾について
~必要かどうかは2カ月死ぬほど自力で頑張ってから~

●文系志望の生徒さんへ・法学部のおすすめ
~法曹界に進まなくても。人間と社会。個人と集団。学問と世俗の間。学説と判例の間。各論なき総論、総論なき各論の危うさ。世間と法律のややこしさ。人権というものの尊さとややこしさ。みたいなことを考えてました~



●スマホについて
有効活用できる生徒さんには有効だと思います。

でも、このページを読んでやる気を出してほしい、頑張ってほしいと私が願っているレベルの生徒さん、
つまり、「成績がぱっとしない、頭もそれほど優秀じゃない、ついでに意志もそんなに強くない、ごくごく普通の生徒さん」には絶対おすすめしません。
スマホは確かに便利です。英単語やイデオム、数学の解法、理系科目、文系科目問わず、その場ですぐに大概のことは調べられます。

しかし、普通の生徒さんにはスマホの持つ麻薬的な娯楽性に抵抗できないはずです。
SNSとネット、Youtubeやニコ動で貴重な学習時間と睡眠時間を奪われます。
ついついお猿さんのように遊んでしまいます。

また、学習での「スマホの有効活用」自体にも落とし穴があります。
その場でたいした手間もなくあーっという間に概論的な知識を提供してくれること自体は非常に便利なのですが、そのプロセスがあまりにも安易簡便なために、スマホで得た知識には「学習経験」としての蓄積にはなりにくい特性があるんです。
パッと調べて、パッと見て「その場限りで」「理解した気分になってしまう」危険性が高いんです。

英単語でいえば、パッと調べてパッと分かるので時間がない時は便利です。
でも、辞書をぴらぴらめくって項目を探して、単語を見つけて、複数の意味と使い方を見て、周辺の関連語彙(名詞⇔動詞⇔形容詞⇔副詞⇔イデオム)などをつらつらみて、参考イラストなどがあればそれを見ながら「なるほどね」といいながら色鉛筆で塗って、覚えて・・・・・という「学習の記憶」「学習経験」の蓄積が、スマホではできにくいです。

調べる時間が少なくて済むのは一見魅力的に見えますが、普通の頭しかもっていない普通の生徒さんにとってもっと大切なことは「知識の定着」です。また実際にその知識を生かして自分自身の力でアウトプット・出力できることです。本番で知識を使いこなせるかどうかです。

どれほど短い時間で調べ物ができるか、が勝負でではなく、「どれほど確実にその知識が定着したか」「どれほどその知識を実践的に使いこなせるか」「本番でちゃんと問題が解けるか」が大切なことですよね。

私のように普通の頭レベル、例えば、「夢かもしれないけど、九大とか北大とか、頑張って行きたい」ぐらいレベルの人であるなら、スマホでちらっと見ただけでスイスイ理解できて、しかもかなりなレベルで実践的な場面で応用できて、時間が経過した後の本番でもその知識が使いこなせる、ほどには優秀な頭のつくりにはなってないはずです。

もしそんなに優秀だったら、すでに超・成績優秀でしょうね。

普通の人にはかならず「書いて覚える」工程が必要です。
頭と手と口と耳で、しかも、繰り返し覚えないとなかなか知識は定着しません。
考えながら、手で書きながら(手でページをめくりながら)、ぶつぶつ独り言ををいいながら、その独り言で自分の思考の軌跡を確認しながら、勉強すればこそ、知識は定着します。
※ブツブツ独り言を言いながらの学習は大切です。周囲に迷惑がかかるようだったら脳内でやってください。でもやっぱり本当は実際に声を出すのがいいです。迷惑でない場所でブツブツ言ってください。

それに受験本番は「筆記試験」ですよね。だからやっぱり、タッチしてスクロールして入力して、ではなく、書いて勉強が基本です。

その意味からすると、超頭のいい人以外にとっては、スマホによる一見効率的な知識の獲得は、有害な側面があります。なかなか実際の成果にはつながりにくいです。


ただ、スマホが超便利なのは事実です。

普通の頭の人へおすすめするスマホの活用法は、
①いったんは自分で考える。
②なるべく手持ちの参考書&教科書で、ブツブツ独り言を言いながら、調べる。
③時間がない時は、スマホを使う。ただし、そのあとで、参考書や辞書で該当箇所のチェックを必ずやっておく。
④受験とあんまり関係ない、ふと疑問に思った雑学的な調べ物、受験関連情報の検索などはスマホを駆使する。
⑤英語のリスニングには便利。(でもi-podなどで代替可能ですよね)
⑥英語単語の発音を検索して確認するのには便利(これは本当に便利)
⑦世界史の講義録を聞くには便利。(でもi-podなどで代替可能ですよね)


もしくは
①いったんは自分で考える。
②すぐに逐次的にスマホで調べないで、その問題、その箇所はマーキングして後回しして、スルー。別の問題にかかる。
③まとめて溜めておいた疑問点をスマホでしらべる。
④そのあとで、からなず、手と口と耳を使いながら、手持ちの参考書、問題集、辞書などの該当箇所を復習する。
⑤受験とあんまり関係ない、ふと疑問に思った雑学的な調べ物、受験関連情報の検索などはスマホを駆使する。
⑥英語のリスニングには便利。(でもi-podなどで代替可能ですよね)
⑦英語単語の発音を検索して確認するのには便利(これは本当に便利)
⑧世界史の講義録を聞くには便利。(でもi-podなどで代替可能ですよね)


いずれにせよ、東大京大を当たり前に射程においているほどの頭のいい人じゃない「普通の人」は、スマホを駆使した目先の効率性よりも「どれほど確実にその知識を定着させれるか」「どれほどその知識を実践的に使いこなせるか」「本番でちゃんと問題が解けるか」に重きをおいて、スマホなんか極力使わずに、腰を据えて一歩一歩前進していってください。基本スマホ見ないで、自分のパートナーの参考書を使い込んでいくことを私はおすすめします。









※毎朝、毎晩うちの整備工場のまえを母校の生徒さん達が自転車で通われています。
声を掛けたら通報されるご時世なので声をかけたりしたことはないですが、応援してます。
小城高の生徒さん、頑張ってください。小城高に入れた時点で可能性はあります。
あとは本気になって、できることから始めるだけです。

小城高なので、普通のペースでこれまで過ごしてきた分、道のりは険しいです。
でも一度しかない高校生活です。
悔いのないように、こころざしをもって日々お過ごしくださるよう、願っています。
できたら、佐賀・小城を抜け出して、頑張った先にある違う世界の違う風景を見てきてください。

失敗したとしても、大丈夫です。

そのことも含めて社会に出たら評価してくれる人は評価してくれますし、評価してくれるその人は中身のある人であることが多いです。そういう人との出会いが人生を豊かにしていくわけですが、それはあなたが頑張ったからこその結果なんですね。

春休みと夏休みが勝負です。
1秒を惜しんで、とまではいいませんが、3分・5分単位の時間を惜しんで、頑張ってくださいね。

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