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お世話になった方々。忘れえぬ人たち。

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お世話になった人たち。思い出に残った方々。

 創業者のお兄さん(長兄)。弊社草創期からありがとうございました。

(告別式当日での弔電の文面をもちまして感謝の言葉にかえさせていただきます。ありがとうございました。)



お寺の境内を間借りして出発した協和自動車の創業当時より、創業者・現会長の一親類縁者としての枠をはるかに超えるご支援・ご指導をあなた様から賜ってきました。


実業家というよりまだ駆け出しの一ブローカーに過ぎなかったであろう当時の会長を手伝って、ふたりして県外から中古車をロープで牽引搬送する途中、兄弟で事故をするところだったというエピソードが物語るとおり、あなた様は、現会長と協和自動車のいわば疾風怒濤の青春期を駆け抜けた創業者の一員であり、応援団長であり、恩人でした。


長じて協和自動車が一定の社会的評価をいただいて、株式会社になってからも、毎年の株主総会の場において、あなた様は一役員の立場からではなく一個の人間としての心の教えを諭され続けました。


あなた様は多くの人々に人として正しく生きる道と愛情を示されました。そしてあなたがかかわった人々がそれぞれの人生を豊かにするきっかけをお与えになりました。


あなた様のその実り多き充実した人生のもたらした作品のひとつとして、協和自動車株式会社はあなた様の教えに恥じぬよう志を高く持していく所存です。




ありがとうございました。


協和自動車株式会社 代表取締役社長 古賀慶仁  他社員一同




一個の人傑ともいうべき方でもあり、わたしにとってもいい叔父さんでした。また地元の多くの人にとっては、名物教師としての思い出やエピソードの多い人徳の人でした。

 創業者のお兄さん(次兄)。弊社草創期からの整備部門の部長をおつとめいただきました。ありがとうございました。

(告別式当日での弔辞をもちまして感謝の言葉にかえさせていただきます。ありがとうございました。)





誇り高く矜持をもって生きられたあなたの人生の終焉と時を同じくして、まさに桜の散り逝かんとするこの日の儀にあたり、協和自動車株式会社を代表してお別れの言葉を申し上げます


あなたは、自衛官としてのキャリアを投げ打って、この協和自動車に来てくださいました。


しかも、血を分けた兄弟としては目下とも言うべき実の弟の招聘に応じるという形で、身を屈して、まだまだ創業半ばというべき途上にあった協和自動車にきていただきました。


以来、長年にわたり協和自動車の社業の基盤、中核業務たる整備工場を統括していただきました。
その指揮ぶりは往年の名作戦記ドラマ・コンバットに出てくるサンダース軍曹、あるいは幕末の新撰組副長・土方歳三を彷彿するような、果断に富んだ迅速で強力なものでした。


あなたは、自ら率先しての切り込み隊長とも言うべき陣頭指揮型のリーダーでした。


あなたは、規律を重んじる方でした。 業界としてもまだ未成熟だった自動車整備業界のなかにあって、会社自体が駆け出しのルーキーに過ぎなかった初期の協和自動車が組織としてまとまり得たのはあなたの存在あってのことでした。


各社員はあなたから仕事の厳しさを教わり成長していきました。


社員はみな、あなたに叱られました。
あなたは、筋が通らないこと、怠けること、約束を守らないことは許さない方でした。

あなたに叱責されて辞めていった社員もいました。



しばらくして業界で言われるようになりました。
「協和さんのところでつとまる人間はどの会社に行っても通用する」


結局、あなたの眼鏡にかなった社員が残り、あるいは協力会社さんの幹部となって当社を外から支援し、結果、あなたの理想の高さが社員と会社を育てていきました。


あなたが自分自身そうあろうと努め、周囲の人間にもそうあれと求めた職業人としてのレベルの高さが協和自動車の拠って立つところとなっていきました。


あなたが協和自動車を勤めあげられたあとも、あなたの薫陶を受けた各部署の社員が会社を作っていきました。


あなたに育ててもらった人間は皆一人の例外もなく、あなたが厳しかったことを今思い返していることだろうと思います。


しかし同時に、あなたの人間的な魅力をまた、例外なく、皆が懐かしく思い返していると思います。


あなたは情のある、情け深い人でした。
世間の、気の毒な人の話のなどを朝礼で話すとき、目をうるませていたのを見たことがあるのは私一人ではありません。


あなたは教育熱心な方でした。 「仕事は見て盗め」という自身の言葉とは裏腹に、自分が実際に経験で得た知識技能を若い人に教えるのが非常に楽しげでした。
法学部法律学科という全くの畑違いから自動車整備工場にやって来た私をよほど機械オンチに思われたのか、「車はガソリンで動く」と教えるためにガソリンを小皿にとって、私の前で実際に火をつけて爆発させて見せたりしたのもあなたでした。


あなたは、自分で創意工夫していろいろなものを作るのが好きな方でした。 そしてそのお手製の工具・設備を自画自賛する茶目っ気のある方でした。 整備工場には既製品とは外見が明らかに違う、仕上がりが微妙にごつごつして無骨な、しかし実際に使ってみると非常に便利なお手製の道具・設備がいろいろありました。




なぜか台風情報が好きな方でした。台風が来るとなるとどうみてもワクワクしているように見えました。 台風情報では台風はまだ遠くにあるのに、こっちのシャッターにかんぬきを、こっちのドアにつっかえ棒を、あっちの車庫にはロープをと、どう考えても厳重すぎる台風対策作業を嬉々として自ら作業、あるいは指揮する時の、あなたのあのキラキラする目はどうみても仕事上のそれではなく、キャンプファイヤーか何かのイベントの準備をしている子供の目でした。


あなたは、何気にロマンチストであったり、頭がいいわりには大ぽかがあったり、部品の名称を自己流の呼び方で押し通したりと・・・・・あなたを懐かしく思う材料には事欠きません。


しかし、すべては過去のことになってしまいました。


でも、厳然として、あなたの残された足跡は集積されて当社の礎(いしずえ)そのものになっています。


吉田松陰という人がどんな人のどんな人生にも春があり、夏があり、そして秋と冬があるといったそうです。 あなたはあなたの人生における一番エネルギーに満ちた夏とも言うべき数十年間のうち大きな部分を、協和自動車をなんとか一人前の会社に育て上げようと使ってくださいました。


ありがとうございました。


退社されてからのあなたの人生が実り多き秋であったこと、そしてほのかに温かみのあるやさしい冬であったことを、あなたのご家族とその在りようをみて拝察し、信じます。


お別れでございます。 ご冥福をお祈りいたします。 合掌。

協和自動車株式会社 代表取締役 古賀慶仁




歯に衣着せぬ直言の方でしたが、それ以上に本当は優しい叔父さんでした。

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